ピタゴラス☆ファイターのお話
「『ピタゴラス☆ファイター』の意味がわからないの考察して欲しい」というメッセージをいただきました。
この熟思するテーマを用意してもらったのが結構前なのでとてつもなく今更で申し訳ありませんが、
三部も終わって ナギくんのお辛いストーリーが舞い込む前に 皆が安心できるような考えを述べてみようかなと。
(毎度言いますが私は作者でもなんでもなく意図を理解してる確信があるわけでもないので、あくまでも こんな考え方してる人もいるよ〜程度にご覧ください)
ただ、ピタゴラスファイターの歌詞って当たり前だけれど ピタゴラ組3人のことを言っているがために、同じような意味合いを持つ歌詞をたくさん入れているように感じる。
同じような表現に対する比喩が多いので、
Sakura Messageの時とは違い
歌詞一つ一つにツッコミ入れるというより 全体的な感想を。
⚠︎大和三月ナギの関係性を「ピタゴラ組」として記載しています。
まず、ナギの異文化学んで〜がすでに歌詞の意味のおおよそを解釈しているように感じるんだが、
一番わかりやすい例は
【たい焼きの好みが皆違う】ということに関して。
単なる「好みの違い」ではあれど、
流星に祈るでも出てたんだが 一織と陸の関係を大和は「異文化交流」だと言っている。
「考え方が違う」「生きてきた環境が違う」というような理由だとは思うのだけれど
ピタゴラスファイターの歌詞も まさにそれで
大和 三月 ナギの3人はIDOLiSH7の中で異文化を極めたような集まりであり、
皆 「アイドル」以外に秀でた才能がある人たちである。
例えば他のメンバーの戦う場所は
陸なら星屑を降らせるためのステージ
一織は一歩下がった主役のサポート役(客観的思考能力により流れ星が一番輝くための紺青の空を作り出す)
環はダンスの才能でメンバーを引っ張り
壮五は今だからこそ「作曲」に手を出して「音楽界」での活躍の場を広げようとしている。
また環と壮五に至ってはMEZZO"としてIDOLiSH7の道を切り開くことも過去、IDOLiSH7の中での立ち位置として重要な役割となっていた。
それに対してピタゴラ組は
大和 →俳優
三月→MC
ナギ→モデル
という、彼らにしかできない上に「音楽」とは少し離れた才能がある。
先ほどツイートもしたが彼ら3人の特技は 本当に無敵のIDOLiSH7を作り出すために欠かせないものなのだ。
https://twitter.com/riku_ten_7/status/994539786353328129?s=21
https://twitter.com/riku_ten_7/status/994540016905764864?s=21
ツイートには記載していないけれど、
「庶民派アイドル」という肩書きがあるRe:valeに対しては その対になるアイドルがナギになるため、ビジュアルを重視した場合圧倒的な差を作り勝てる材料になる。
(⚠︎あくまで初期から「美しさ」を強調されてきたナギと 「庶民派」であるRe:valeの《公式設定の話》であるため 三次元の私がRe:valeのビジュアルが悪いと言いたいわけではない。)
上記の事を前提に
この3人が合わさった状態は、歌詞にも出てくるレオナルドのことを示していることもわかるだろう。(レオナルドは人類史上最も多才な人物として知られている)
ナギが思っていた
「三位一体」
「文殊の知恵」
という言葉がまさにピタゴラ組であるが、そのことは後で記載する。
題材にもなっている
ピタゴラスは 「ピタゴラスの音律」のことではないかなと思っている。
ピタゴラスというと
「ピタゴラスの定理」もあるが、
その場合は少し面倒な考えをする必要がある。
ピタゴラスの定理は「a2+b2=c2 」という数式。
直角三角形の斜辺を求める時に、
下辺と高さがわかれば 斜辺がわかるという考えだ。
a2+b2=c2 にピタゴラ組の数字を当てはめると
2×2+3×3=6×6
になる。
けれど、これは成り立たせんのです。
けれど、無理やりにでもピタゴラスの定理にピタゴラ組を組み合わせるのであれば、
歌詞やピタゴラ組の衣装カードにあるように「2×3=6」という数式にすると成り立つ。
この「2×3=6」はレオナルドによるピタゴラスの定理の証明を解いてみるとわかると思うんだが、 この数がわかればピタゴラスの定理の証明ができちゃうんだな。
「2×3=6」は 四角形の「底辺×高さ=面積」と同じ数式で、
レオナルドの証明の仕方は
三角形を一つ増やして解くんですけれども、
となると 三角形二つ分の面積を組み合わせると「四角形」になるので上記に書いたような数式でも表現できる。
レオナルドの解き方だからこそ考えられる数式であるが、この考え方は少し回りくどすぎると思うので個人的にはあまりいい考えではないと思っております。
で、初めに述べた「ピタゴラス音律」というものに話を戻すと
ピタゴラス音律は「2:3」の音を綺麗な音である「ソ」だとして その音をベースに 他の音を作っていく。(2と3は大和と三月の数だが、私的にはここは重要視してない。)
音には アイドルと同じように「12音」があってそのうちの「7音」が基本的にメロディを奏でる音である。
語彙力がなくて申し訳ないんだけれども
この12音のうちの7音は、「 1つ目の音がド!」「1つ目の音はAを示すラ」とかではなくて、調が変化するたびに その都度変化するものなので「7音」が基本、といえど この7音がどの音なのかも変化し続ける。
例えば「ド」が「1つ目の音」(ハ長調)なら
「ド レ ミ ファ ソ ラ シ 」が「7つの音」。
けれども「レ」を「1つ目の音」(二長調)にすると
「レ ミ ファ♯ ソ ラ シ ド♯ 」
が「7つの音」になる。
私自身ずっと音楽をやっているので
アプリを始めた頃に 「IDOLiSH7」が7人で他に5人アイドルがいるという構成的に
「主になる7音」=「IDOLiSH7」なのではとばかり思っていたんだけれど
今回考えた時にピタゴラ組だと全く別の解釈をすべきなんじゃと思うようになった。
「IDOLiSH7」を支えるようなグループなのでピタゴラ組単体では「7音」のうちの「3音」という考え方を恐らくしてはいけないんだろうと思っておる。
いわゆる音色の土台となる部分がピタゴラ組であり「7音」を作り出すのが3人の役目なのではなかろうかと。
だからこそ「♭」「♯」「♮」が彼らに当てられたマークでもあるのではと思う。
このマークがあれば どの「調」にも変化させられて基本になる「7音」が確実に表せられる。
そのため コロコロと調が変わる曲に出会ってもピタゴラ組のマークがあれば まとまった「一曲」を作り出すことができるのだ。
稀に「#」と「♭」を掛け合わせれば「♮」は必要ない、だから 彼らのマークはナギくんがいなくなる伏線では?と口にする方を見かけるが そんなのは譜面上ありえるわけのないことで。
「#」や「♭」がついている音符は
「♮」がなければ 「#」「♭」が付いていないノーマルの音を作り出すことはできない。
例えばの話「#のド」の音符が譜面上に出てきた後に、「♭」を書き足したとしても「ただのド」にはならず「半音下がったド」になるだけだ。
譜面上のルールとして「#」と「♭」は同じ音符につけられないため 「#♭」なんて記号はなく、「戻す」役割はナギくんの持つ「♮」でしか表すことはできないのである。
話がちょいと変わるけれど、
コロコロと調が変わる曲って大概が「物語性のある曲」であって、
「悲しさ」や「嬉しさ」というような感情であったり、「大雨」「晴れ」といった天気の様子、「春夏秋冬」の季節をテーマにした曲とか。
日常から夢の世界まで さまざまなテーマを持って物語を楽譜上に記すことができる。
それを前提にアイナナの各キャラクターに与えられたマークが楽譜上に記載できるマークであることについて。
なにも違和感を持たずに今までやったきたけれど、紡ちゃんに音符があるのって不思議じゃない?IDOLiSH7の一員だという考えもできるけれど、だったら他のマネージャーにもあるだろうし。
単純に「音楽ゲームだからその人に合った記号を」というより、
主人公である紡が「♩」(四分音符)を持つことによって、様々な物語を綴れる曲が作れるんじゃないのか?
それこそ、作曲をしたことがある人ならおそらくイメージを沸かせやすいけれど、桜春樹みたいに その時の感情を曲として残すような。
今現在公開されてるマークは17つ。
IDOLiSH7が「基本の七音」を作る役だとして。
それとは別に17つのマーク(紡+7人+3人+2人+4人)が 曲に物語性を持たせていく。
主人公役の紡 視点の物語を作るとするならば
紡が音符を綴る役になって、
IDOLiSH7は曲調を変化させられるマークを持っている。
TRIGGERはより曲に厚みを持たせ和音を作るためのマーク。
Re:valeは物語性のある曲を作るにはかかせない繰り返しマーク。(繰り返しマークがつけられるのは サビが多く、またRe:valeの『:』は本来『ː』であるため物語を長くするためのグループだとも考えられる)
ZOOLはRe:valeの記号にプラスするように理想のメロディを奏でるための技法のマークであったり。
アイドリッシュセブン って 物語を自分たちで紡ぐための方法を探し続けるようなお話なんじゃなかろうか、ということをわかりやすく提示しているのが17つのマークなような気がする。
また 一人では紡げない故に、《自分「たち」》で曲を作ることが必須であることを示しているように感じる。
話を戻すが この「曲」という物語を綴るための「音」を作るにあたって
ピタゴラス音律が重要になっている。
まず、音階を一番初めに作ったと言われているのがピタゴラスであるため 「音色を作り出す役割」としてはピタゴラ組に合っている。
簡単に作った画像(黒がドの弦、青がソの弦)だが、
ピタゴラス音律は弦の長さによって音色が異なることを前提に「ドの三分の二の音がソ」であることを見つけたピタゴラスが、「ソ」と「ド」の弦の関係性基準に、
間の音を詰め込んだので 少しの誤差が生じるんだ。
けれども、その誤差というのは 和音(いくつかの音を同時に鳴らす)にしてみないとわからないもので、ドレミファソラシ だけの音をただ1つずつ鳴らしていく場合は 綺麗な音が感じられる。
(説明がド下手クソなので 自分で調べていただいた方がおそらく理解できると思います)
ど簡単に言うと その誤差の影響により単音としてでしか あまり使われない。(バイオリンなどはピタゴラス音律を使って演奏できる)
それを前提にピタゴラス音律と大和と三月とナギの関係性を考えると、
「重音ができない」「重ならない」=「個性」示しているという考えもできるだろう。
またまた話をコロリと変えるが
「ピタゴラス」
という言葉は 真崎さんによると「不思議なカタカナ5文字を入れてください」と要望があって入れたらしい。
なんで5文字なんだろうか、とずっと思っていたんだが、アプリ内でこの曲の配信が5曲目(TRIGGER抜き)だったからなのかな、と思ってみたり。
なぜ「不思議」で「カタカナ」でなければならなかったのかは未だにわからぬが、
4曲目である「Fly away!」は日本語にすると「飛び去る」の4文字にもなるから あながちおかしな設定でもないのかなと。
カタカナなのはナギがいるからで 不思議なのは彼らの秘められた才能的や個性的な部分を含みたくての指定だったらな、なんて考えてみたりもする。
ピタゴラスファイターの歌詞は
歌う順番が必ず ナギ 三月 大和 になっていることについても
皆が知っている 当たり前のことではあるけれど
彼らの家族関係において
弟のナギが 兄の三月に甘えて
そのどちらの味方にもなることなく 意見のぶつかり合いを「個性」として 認めて
もっとやれと促したり一緒に悩んであげているのが一人っ子の大和。
ただ、個性は褒め言葉さという歌詞もあるが
初期のあたりは特に
「アイドルになりたかった三月」と
「父親のようにはなりたくなかった大和」は自分の個性をあまり良く思ってはなかった。
けれども、二番の歌詞にあるように自分の個性を迷わず貫いているナギの影響で 自分の個性を才能だとして 武器にするようになってきていたり、自分以外の他2名が素の自分を認め背中を押してくれたのをきっかけに自分の持つ武器で戦うようになった。
この関係性こそ ピタゴラ組の三角関係で 凄く良い方向に循環されているように思う。
「異文化交流」と言わんばかりの「個性の塊」であり育った環境もまるで違う3人だけれど
認め合うことや 分かろうとし合うことで
「三位一体」になって行く。
三位一体とは 文字の通り 「3つの物が一つになること」なんだが、
三つ揃わねば意味をなさない、だとか、3人いることで神を示すなど、「3人=1つ」のものを示している。
上記にも記載したがナギくんは
「3人寄れば文殊の知恵」ではなく
「三位一体 文殊の知恵」と言っているんだ。
これって意味は同じようなものなんだろうけれど「3人いれば 良い知恵が浮かぶだろ」ではなくて「3人いなければ 1つも知恵が浮かばない」というような、より強い束縛感を示しているように思える。
その点からも「ピタゴラ組」=「レオナルド」なんだろうということがわかるだろう。
1人でも欠けたら「レオナルド」のようにはなれないということ。
だからこそ「二三が六さ レオナルド」なんだろうね。
2.3.6のどの数字が欠けても 数式は完成しやしないから、一人欠けたら その時点で 「どんな難にも対応できる万能人」になれなくなる。
歌詞の最後にやたら「レオナルド」を表記させるのも同じだろう。
「ピタゴラ組の行動や思想」と「レオナルド」を並べることで同じような逸材であることを強調しているように感じる。
東へ西へピタゴラスという歌詞があるが
これは単純に「忙しく走り回る」的な意味だと思うんだ。
「東から西へ」という言葉は基本的に短時間で移動しまくったり、バタバタ急いでいるようなそんな状態を表す時によく使われるけれど、
この後に続く歌詞が
「戯けた笑顔でデリバリー」
「君の街までピタゴラス」
「無茶ぶりもスパイスさ」
「明日はどっちだピタゴラス」
「エンターテイメントデリバリー」
「シアワセを運んでく」
というように誰かのために奉仕することを決めて忙しく走り回るような言葉が重ねられている。
ピタゴラ組はやっぱり幸せを運ぶための郵便屋さん的な存在なんじゃないかな。
その後の歌詞にも注目してほしいんだけれど
「愉快な行進ピタゴラス」
「飛び乗れ運命はレインボー」という歌詞が続く。
「愉快な行進」はそのままの意味でピタゴラ組がワイワイと楽しんで、自分の意思で幸せを届けようとしている図を示しているように思え、
また「飛び乗れ運命はレインボー」というのはおそらくIDOLiSH7のことなのではなかろうか。
ここまで考えてみたけれどピタゴラス☆ファイターって
「大和、三月、ナギの3人の関係性」だけではなくて「IDOLiSH7の中でのピタゴラ組の役割」も描かれているように感じるなと。
主体ではなく、あくまで IDOLiSH7のその他のメンバーに運命は託していて
けれども、その運命が良い方向に進むように促してやるのは自分たちだ、というような解釈ができそうだ。
3部まで読んだ方はおそらくわかるだろう。
この「幸せを用意する役割」はストーリー内で 序盤では 「2×3=6」という数式で「=」の先にいた「ナギ」が役割を果たしていたんだよな。
そして、三部が終わった今現在 「×」で結ばれていた三月と大和が「=」の向こう側のナギに「幸せを用意する」ことを約束している。
笑っちゃうくらい数式にぴったりなストーリー構成だけれど、ナギの問題が終了したとしたら また違う数式になるんじゃないのか?と思ってみたり。
もしあるなら「2×3×6」なんじゃないかと思うんだが、じゃあ「=」の向こう側はどうなるでしょう、となるんですけれども
「2×3×6」が「幸せを用意する人」であれば、「=」の向こう側は「幸せを用意される人」の席になる。
でだ。普通に掛け算すると36で完結なんだけれども、そうではなくて ちょいとIDOLiSH7らしく、 IDOLiSH7のメンバーちゃんたちの中でピタゴラ組以外足してみると「17」になるんだよな。
これが適応するのは「=」を数式として解釈せずに「同じ意味を持つ」として解釈する他成り立ちはしないんだが、ステキだな、と思いまして。
2×3×6(ピタゴラ組)=i7(1+4+5+7=17)
三位一体でレオナルドのようになったピタゴラ組が、IDOLiSH7をハッピーエンドに導いてくれると信じております。
このブログではピタゴラ組が1人でも欠けるとIDOLiSH7の幸せはないという結論が出ました…!!
これ以上語ると いつものようにダラダラクドクド長くなりすぎて読者が引いてしまう気がするのでモブおばさんからの意見は以上にします。
こんなくだらぬ感想を読んでくれてありがとう!
ブログを書くテーマをくださった方もありがとうございます!
さらば!