i7 blog

アイナナについての考察や感想を気ままに書いています。

アイドリッシュセブン から 学べること

IDOLiSH7のメンバーが1人残らず家庭に問題を抱え、それが 大きな壁になっているであるであろうということについて考えと、そこから学べることを 長々表記するだけのブログです。

 

以前書いた 欲求と似ている部分が多々ありますが、今回は 「家庭」を主に考えていこうと思う。

 

 

 


両親から正しい教育を受けられなかったからこそ、
壁に立ち塞がれ子供が悩む結果となったり、
乗り越えなければならない試練となったり。

 

良かれ悪かれIDOLiSH7のメンバーの中で、
親のせいで 子供がこうなった
というような 例があることはストーリーを読めば 理解ができるであろう。


機能不全家庭として、主に知られる有名なもの、一般的に考えられやすいものは
虐待である。

育児放棄や、暴力、性的虐待、暴言。

 


IDOLiSH7のメンバーの中だと、

父親により暴力を振るわれていた過去が明らかになっているのは四葉

 

この点から 高校生であるのにも関わらず、
社会的に受け入れられにくい思考の持ち主で
なぜ怒られるのか わからない、自分に悪気はないのに
なぜ 皆に合わせないといけないのか分からない、俺の目的と異なるのに
など、「人とずれている」ことが 生きづらさとなっていた事がわかる。

 

その生きづらさこそ、親が与えた子への影響であり、
よく聞かれるような言葉だと「アダルトチルドレン 」と呼ばれることもある。

 

環の場合、ストーリー中にて 問題を徐々に解決しつつあるため、大人になる前に 問題を乗り越えられたことが幸いである。

 

アダルトチルドレンとは、両親に与えられた影響により大人になって(社会に出て)生きづらさを感じる状態を指すため

IDOLiSH7のメンバーで それにあたる人物は

「二階堂大和」
「和泉三月」
「逢坂壮五」

の、お兄さんグループだ。

 

和泉三月については、一織とともに 説明する。
そのため、まずは 大和と壮五について
彼らの置かれていた家庭環境と それに対する影響を考えてみようと思う。

 


ー大和の場合ー
世間が見る「おしどり夫婦」の家庭の中に「自分はいない」。

自分は 父と その愛人の子として生まれてきてしまった人物。そんな思考があったり。

 

そして、何より不幸だったことは
父親がその事実を隠していたこと」である。

 

そのため、「世間から 自分は受け入れてもらえないのだろう」という思考から
生まれてきてしまったこと」に対する罪悪感があり、人に尽くす事や、誰かや 何かを通してでしか、自分を認めてもらえない(生きてる意味はない)と思っていたのではと考えられる。

 

しかしながら、愛されている実感はあったのだろう。


自分が 愛人との間に生まれていた子供だったと気づくまでは 大きな不満はなかったのがその証拠だ。
だからこそ、父親の隠し事に気づかなかった。
疑ってなかったから。

 

 

けれども、隠し事を見抜いた瞬間から
父親の今までの優しさがすべて

「自分を騙すためにしていたこと」

「自分の機嫌をとるためにしていた事」だと、疑い始めてしまった。

 

そこから、愛されることに関しての不信感を抱くとともに
父に対して裏切られたことへの ショックを紛らわせるために、父を悪者だと思い込ませ復讐することを計画する。


この点に関しては 大変な思いをする家族を捨てて家を出た「天」を悪者だと思いこむように自分を自分で洗脳し続け、精神を守っていた「七瀬陸」に似ているように思う。(陸については後で書く)

 

大和の場合は 幼き頃から「愛されていること」「大切にされていること」の実感がありながらも
大好きな父親の裏切りにより「愛されること」がトラウマのようになっていた。

 

だからこそ、裏切られる恐怖心から

「自分自身が愛されること」に対する努力をせず、自分ではない誰か(自分が気に入っている人)を認めてもらおうとしたり、誰かが褒めてれた自分の武器(大和の場合、俳優としての演技)を愛してもらえるようになりたかった。

 


愛されたい」と思っていることすら 肯定したくはないけれど、「自分自身を愛してほしい」と心のどこかで思っていたから、自分に嘘を重ねることが 精神の崩壊と向かって行った。

まだ父親のことがバレれば、IDOLiSH7が壊れるかもしれないという所属欲求も不安定になっていたために精神的にも限界だったのだろうと見受けられる。

 

「愛人との間に生まれた息子」
IDOLiSH7の二階堂大和」
「父を恨む自分」
「父が大好きで愛してほしい自分」

いつしか、どれが本当の自分なのか 分からなくなっていた。
全て本当の自分なのに、「自分に」嘘を重ねていたから。

 

そこで、Re:valeの2人が

【「愛されたい自分」を受け入れること】

【自分を責めないこと】を 父に代わって教え、行動してくれたため、
アダルトチルドレン であった大和は現在
「愛されること」に対するトラウマを乗り越えつつあり、「自分に素直」になり始めている。

 

 

 

ー逢坂壮五の場合ー
御曹司として マニュアル通り育てられた。
父親の指示に従わないと 怒られる。
父親に期待されていた。

そんな中で
自分の好きなことをする叔父」の姿に惹かれていく。

 

そして、叔父が亡くなった喪失感のある中で
「叔父を責める声」に耐えられず
自分は認めてもらえない」と家を出た。

 

逢坂壮五の場合は とても分かりやすい「毒親」家庭である。

 

「期待しすぎ」も 一種の毒親の特徴だが、
それ以上に
言動よる支配が 壮五を苦しめていた。

 

自分に従わないと 機嫌を悪くしたり、厳しい状況になるように仕向けたり。

 

その点から「父の教え通りの自分でなければならない」と思うようになり、
「父親に捨てられないようにするには」と、
自然と「父親の支配下」に足を運んでしまう。

 

そして、「マニュアル通り育てられた」ことや
「親の言う通りに行動したこと」によって
自分の意思で動くこと」ができなくなり
自信のない、自己受容のない子になってしまった。

 

自分のやりたいことがとんでもなく恥ずかしいことだと思ってしまったり、
自分の言いたいこと間違っていることだと思って言えなかったり。

 

祖父に出会ったことで「好きなことを認められる嬉しさ」や「好きなことを貫くことは楽しいこと、悪いことではない。」と実感でき

 少しだけ自分の考えを肯定できるようになり
初めて自分の意思で「家を出る」ことができた。


その点については大きな一歩である。

けれども、良い影響の反面、乗り越えなければならない課題も同時に見つかるのだ。

 

認められたことのない子や否定されて育った子は、自分の行動に自信が持てず「認められる」と 思いながらの行動ができない。

 

そして、その感情が前提にあるため、

否定されるのが怖くて仕方がなく「何もできない」「黙って指示に従う」ということが癖付いてしまうのだ。

 

 

そんな時に環に出会い、
「周囲の目を気にしない環」に対して羨ましいと思いつつ、
「環が認められたい」という欲求に直面する。

 

環は 一見 空気が読めない子供だけれど、
時間を共有すればするほど「真っ直ぐで 優しい いい子」という事実に 壮五は気付き、
「この良い子」の良さを「認めて欲しい
「本当はいい子なんだ。」と「良さを認めて欲しい」「努力を見てあげてほしい」と思うようになる。


だからこそ 「よく見られたいから」世間知らずの環に「周りを見て行動すること」を教え込んでいた。

 

その後 環は 壮五の心の問題にも気付き
「良い子になれと言う」理由は「壮五が自分のことを好いているから」と自ら気付く。


壮五もそれに従って 徐々に抱えている問題について、理解し始め、「認めてもらうことの嬉しさ」「共感できる嬉しさ」に気付き父親との和解を求めていた。

 

父親との和解はおそらく完全には成功はしていないだろう。


父親は和解ではなく、自分が壮五にしたことに対しての謝罪の意を込めて おそらく環を解放している。

 

正直、 現実的に考え 好きなことを一度言えるようになったくらいでは壮五はまだアダルトチルドレン の状態から抜け出せてはいない。
今後 父との和解もしっかりと解決され
否定されるトラウマ」を 何年もかけて解決する必要があるだろう。

 

 

 


ー和泉家【三月 一織】ー
和泉家には兄の「三月」と弟の「一織」がいる。

 

一見すると和泉家は幸せ満載で微笑ましい家庭だが、
一織も三月も、他のメンバーに比べ「否定されるのが怖い」「プライドが高い」という特徴が初期の頃からとても強く記されていた

 

これは、両親が「君たちはいい子」として育て上げた、という単純な問題ではない。

三月も一織も 「否定されるのが嫌い」「嫌われるのが嫌い」な上、「自分に自信がない」。

 

 

自分に自信がないことは 自己受容のなさを指すことができるが、
おそらく、両親の言動により遠回しに兄弟は傷つき、自信を失って行ったのであろう。

 

アダルトチルドレン の特徴として、
「隠さなくてもいいことを隠す」
ということがよく見られるが、
一織の場合、「可愛いものが好き」という隠す必要が全くないものを隠す癖もある。


このまま年齢を重ねれば 間違いなくアダルトチルドレン になるであろう。

 

「可愛いものが好き」という自分に嘘をつくこと
「今の自分は周りに受け入れられない」
「本来の自分は嫌われる、求めてもらえない」
という、自信のなさからの自己防衛であり
自分は愛してもらえない」と思っていることに直に繋がる。

 

なんといっても、
三月には「よくできる弟」がいて
一織には「皆に慕われる兄」がいた。

 

真逆の二人だからこそ、
成長途中に、いい影響もあれば悪い影響もきたす。

 

例えばの話、

両親が、「三月は友達が多くて楽しそうね」と言えば、一織が「友達が少ない自分が否定された」と思うようになり、


「一織は 背も高くて勉強も運動もできていいね」と言われれば、「背が低く 勉強も運動も平均的だった兄」の三月は「自分が否定されている」と思うようになる。

 

他にも「三月は身体が小さくて容姿が可愛いから 可愛いものが似合うわね」と言われれば

身体が大きく 可愛いというより美しい顔立ちの一織」は「可愛いものは似合わない」と否定されているようにも 捉えられる可能性がある。

 

 

そして、自分が褒められた立場になった時に
両親に見捨てられないように また褒められることをしなければ」と自然と思うようになっていく。

「褒められた喜び」という単純な感情の裏に
少しずつ芽生えていく「褒められなかった時の恐怖心」

 

それによって生まれる 「否定されることへの恐怖」や「本当の自分を見られたくない」という「プライド」

 

【人と比べること】が【心理的虐待】に当たることはあまり知られてはいないが

知られていないからこそ和泉兄弟という「一つの兄弟例」によって「何気ない一言で苦しんでいるものがいる」ことをマネージャーに訴えかけているのではとも捉えることができるだろう。

 

両親がただただ、彼らを愛し「彼らに自信をつけさせたかったから」「褒めていただけ」その事実が本当だとしても
彼らにとっては 遠回しに自信を失わせるものであり、
「俺より弟の方が両親に愛されてる。」
「私より兄の方が両親に愛されています。」
自然と思わせて行く結果ともなる。

 

だからこそ 十分に愛情が注がれていると 実感できてない人物になり、自己受容のなさから 他人の目ばかりを気にし周りに振り回されてしまう子になるのだ。

 

三月の場合、
「兄らしくしていたい」「弟が自分を頼ってくれる」という点から
一織よりは 自己受容があるように思える。

 

だからこそ、「自分にしかできないことをする」という自己実現の欲求を持つまでに成長できた事実がある。

 

 

対して一織は「頼ってくれなかった兄」「大好きな兄に否定された」という事実があるため
いつになっても 自己受容が持てず、心が安定せず、
「自分を必要としてくれる人物」に対して 依存傾向にある。

 

依存傾向があることは家庭崩壊してる家族にありがちだ。

 

実際問題として、
「虐待は家庭での子供に悪影響を及ぼす問題、
他に思いつく家庭での問題は思いつかない」
そんな、ことを思う人は多いだろう。

 

他にも精神疾患を持つ人に対して

「虐待があるわけでもなんでもないだろ?

家族も優しいのに、なんでなったんだ?

お前が弱いだけなんじゃないのか?」


と疑問をもつ人もいる。

 

けれども、直接的な暴力や暴言などでなくとも
家族の何気ない一言や 行動で、少しずつ心に矢を放たれてしまった子もいるのが事実であり、それが皆の知っている虐待ではなくとも

知らず知らずのうちに受けている【虐待】という類のものになることもある。


一織くんと三月くんもそれに当たると見当がつく。

 

このまま 誰も一織の傷ついた心に気づけなければ、必ずと言っていいほど精神疾患を追うことになるが、
おそらく その伏線が九条鷹匡なのだろうということがよくわかるであろう。

 

 

ー以下は補足ー

三月の真の強さは上記に書いたように「兄である」ことが「弟から必要とされる」に繋がるため承認欲求が満たされているのではと思っていたが、

おそらく 彼らの【年齢差】も目をつけなければならないポイントなのだろう。

 

三月くんはそもそも 「弟に比べられることなく生きていた数年間」が存在し、

両親の愛情も独り占めできていた時代がある。

その数年間は子供が様々なことを吸収して急成長をする「0歳〜3歳」に含まれており、

[両親を独り占めし深い愛情を注がれていた三月くん(3歳)]の元に 一織が授かられた思われる。

だからこそ、三月くんの方が「なんとかなるかもしれない!」「きっと大丈夫だろう!」といった自己受容が備わっているのではなかろうか。

それに対し 一織くんは生まれた時から「兄」という比べられる対象がおり

「一織はなんでもできる」「完璧である」として育てられてしまったため

「完璧である自分」しか周りに必要とされてないと感じ、「本当の完璧ではない自分」を押し殺し無理やり周りの人間が望む「完璧な自分」を作り出すことで 常に「周りの人が望むこと」を考え生きてきたため

「客観的思考」という 周りの人がどう見ているか、においての考察力は高く吸収できていても

「本来の自分の意思を信じる力」というような自己受容を持つことができないのではなかろうか。

ー補足終了ー

 

 

 


ー七瀬陸の場合ー

幼い頃から「これはダメ」とあらゆることを否定されて来たため、「自分のやりたいこと」を素直に伝えることが苦手だ。

 

また、否定され続けていたため、もちろん自己受容がなく、自分に自信がない時期が長らく続いていた。

 

今現在 それは治ったようにも見られるが、
根はそのままだ。


心の底から自信を持ってるわけではない」からこそ「認めてくれる人」に依存している。

だからこそ、一織も言っていたが「褒められれば浮かれ」「けなされると落ち込む」という流されやすい人間なのである。

 

そもそも、「必要とされたい」という気持ちが 爆発したのは、「天に捨てられた」と思った時からであるため、「捨てられたくない」という思いが強いのだ。

 

今現在一織との「共依存」が問題となっているが共依存はただ悪い意味だけをもたらす状態ではない。

依存できる相手がいることは 心の安定を図れることにつながる。

しかしながら 周りに目を向けられなくなることが一番の問題であり
何が正しいか何が悪いのかも 判断が曖昧になってくる。

そもそも「何かに対し強い依存傾向にある人」は 家族からの愛情不足や誰かに貶された過去があり自分に肯定的になれないなど、補うべき何かを持っているため「心の安定を図れる」という一点のデメリットだけを持つことはできないのである。

簡単に言えば「相手はずっと自分を必要としてくれてるだろう」と 本人たちは思えていないということだ。

もし思えていたのならばそれは本当の「心の安定」になるだろうが、依存傾向の強い人は自分に自信がないために共依存の相手に対しても不安を抱えてしまい、「精神の安定」と「不安」の矛盾に良くも悪くも心が揺れ動く。


また、互いに必要とし合うことは欲求が満たされる快感と安心感を感じられる利点にもなるが

相手がいなくなった時の失望感は計り知れず、
「一人で生きていくこと」ができなくなってしまうことも、デメリットであるだろう。

 

 

ー六弥ナギの場合ー

このブログを書いている今現在ではナギはまだ謎多き人物だが
わかってる点として、家族の関係が壊れていることが挙げられる。

 

母は母国の自分の仲間に拒否されており、
兄とも仲が悪い。


ナギ自身、自分の精神的居場所はおそらく、母国にあるとは考えていないため、
この点から、日本に来るまでの期間、
気の休まらない人生だったのだろうと見当がつく。

 

ナギの言葉の使い方から、ナギは母のことが好きだが、過去のナギの身近な人はナギの母を差別的な扱いをしている。

 

父親がなかなか話に出てこないが、
兄とも仲が悪いという点から、
「ナギは 母親」
「ナギの兄は父親」に情を置いているのではとも考えられる。

 

この場合、自分の好きな母親が 母国で否定されていれば 精神的に大きな負荷になり、
また、兄から常に冷ややかな目を向けられていたナギの精神の負担は計り知れない。

 

春樹がナギに出会ったことで ナギを肯定してくれる人が現れた。

当の本人は春樹に出会ったことで「寂しいと気づいた」と言っているため、
「愛されていた」と感じたことがなかった少年だったのではなかろうか。


両親の仲が 悪いのであれば それこそ よくない影響ばかりなのは事実である。

 

具体的な例を挙げると
よく、子供ために離婚すべきか 、離婚しないべきか。
と悩む親がいるが、
そこで直ぐに【「子供のために 離婚しない」方が良い】を選ぶ人もいる。

 

正直なところ それは「仲が良い」に限る。

 

「離婚しない」を選ぶのであれば「両親が仲良くする」努力をし、「子供の負担を軽減」するからこそ意味がある。

 

「離婚しない」を選んでおいて「喧嘩ばかり」「親がいつもイライラしている」となれば、
子供は「親を怒らせないように」と 無理をし続けたり、「自分の感情を押し殺す」ことや「親のために自分がいい子でいないと」と思うようになってしまうのだ。

 

「自分のために」生きることから思考をずらし「親のご機嫌取りのため」に必死に生き始める。

とてもとても賢い子である。

 

けれども、そんな子たちは

いずれ アダルトチルドレン として 自己受容がなく 生きづらい運命をたどらなければならなくなる場合もあるのだ。


中には ピリピリしている両親のせいで
「怒鳴り声」や「大きな物音」などに敏感になり、
それがトラウマとなる子も少なくはない。

 

このように、両親の不仲悪影響を及ぼす。


また、両親でなくとも兄弟間の不仲も「自分の家なのに気が休まらない」「頼れる場がない」として、悪影響となっていく。

 

この点から ナギは ただ綺麗な人間ではないこともわかる。


そして、これからのストーリーで、彼の 何本にも枝分かれしている性格が しっかり わかってくるであろう。

 

 

 

 

メンバーそれぞれの性格を作った過去はもう変えられない。

 

それは、自分たちにも言えることである。

 

そして、そんな子供を生み出した 両親や 兄弟、親戚、友達など、

彼らが今更反省しても、過去は戻ってこない。

 

逆に、負荷を乗せられた人物たちが、

彼らを恨んでも、何も変わらずストレスが増え、時間がただただ経過するだけだ。

 


アイドリッシュセブン という物語は
「子育てをしている親」

「将来子育てをする人々」
に対して、「子供に負担を与えすぎる育て方」をしないようにするための 注意喚起であり
それと同時に「育て方に正解なんてない」と知らせるようなモノでもあると思っている。

 

 

そして、「問題のある家庭で育って来た子」や「気づかないうちに アダルトチルドレン になっている子」に対しての

『変われるチャンスはいくらでもある』

というメッセージでもあるのではないだろうか。


家族の関係の修復により 変われる子もいるが、
家族との修復が困難な子もいる。
家族以外の誰かから傷つけられ、トラウマを持つ人もいるであろう。

 

どの場合にせよアイドリッシュセブン を見れば
家族ではない第三者からの愛情」によって「変われる」という事実も上手く表記されている。

 

そしてこのブログ内容を見て間違った解釈をして欲しくないのだが、
このブログに記載している「間違った教育や育児」というのは

「子供に負荷を与えるもの」

「ストレスとなる可能性のあること」を主に考え記載している。

 

けれどもここに書かれたブログにおいて

 

「間違っている」=「ダメ人間」ではない。
「間違っている」=「不幸な人生」でもない

 

ことをわかっていただきたい。

これらのことこそ、アイドリッシュセブンを見て実感できることだろう。


成長過程の中で与えられた いわゆる重圧や重荷というものは 必ず 自分の武器になるのだ。

 

メンバーの現在を考えてみればすぐにわかる。

 


一織ならば、

高い分析力により 皆を「成功」に導くことができたり、相手の気持ちにいち早く気付くことができる。


大和の場合は

「嘘だらけの家庭」があったからこそ、メンバー全員をよく観察し、仲間に「安心して帰れる寮(グループ)」を与えている。


三月

一織のように客観的思考が得意でありながらも、弟がいるため主観的思考も持ち合わせており、尚且つコンプレックスも多いため、人のために動くことができたり、「戦いたくても戦えない仲間」に寄り添うこともできる。


の場合は

母や妹を庇い虐待されていた過去があるため、人の感情の変化に敏感になれ、強い意志で仲間を守ることができる。
また壮五が虐待と同じ類の家庭で育ったことも 環自身の過去の経験から、気付くことができ 寄り添うことができた。


壮五

否定されるトラウマから、肯定される喜びを覚えているため、誰かの話を聞いたり 相談に乗ることも得意であり、客観的思考も得意なため 人の強みを引き出し自信をつけさせるのも得意である。


ナギの場合は

友達がいない過去や悪意を浴びせられた経験があるため、恥ずかしがることなく愛を皆に与えることができ、人の感情の変化にも敏感である。


の場合は

「天のようになれなかった自分」や「生きたいように生きられない過去」があったために、

何事に対しても感謝できたり、自分の人生を生きることに戸惑いがなかったり、人の弱みを見ても同情したり悪用したりすることのない子である。

 

 

実際、こんなに上手くいくものか、と目をそらす人もいるだろう、
奇跡のような出会いで起こった物語がアイドリッシュセブン だ。

 

けれども アイドリッシュセブンを見て価値観を広げることはいくらでも可能だ。

 

単純にストーリーを楽しむのはもちろんのこと、
埋まらない欲求に悩む人がいるのであれば
価値観を広くもち、自分を見つめ直し、これからの人生にヒントを得るために、
アイドリッシュセブン をプレイするのも

1つの たのしみ方ではなかろうか。

 

 

 

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私は物語の作者(都志見先生)ではないので、もちろん 「学べること」といえど、

深読み大好き星人の私的な価値観によるものです。

 

毎度言いますが

自分の意見も頭に入れておきつつ、

「こういう考え方をする人もいるんだ」程度に 解釈してくださいね!!

 

では、また今度!

次のブログ更新はいつになるか分かりませんが、こんなつまらん記事を読んでくださりありがとうございます。