九条鷹匡とゼロ

 

ゼロは一体誰なのか、

 

ずっとこのブログを書こうとしていたんだが

決定的証拠がない上に、

一人に特定できないため、書くのをためらっていた。

 

が、次更新までに書いておきたかったので

可能性のある人物を一人だけに絞って考察を綴ってみようと思う。

 

ただ、最初に言っておく。

今回の考察の大半は 私の「妄想」から生まれた発想なので あてにするのは やめた方が良い。
オススメはしない。

メモ感覚で書いているので、

こういう考えもあるのか〜的な感じで受け取ってもらえるとありがたい。

目から入った情報を耳から抜いちゃうような気持ちでリラーックスして読む読み物です。

真剣に読まないで。

 

 

 

 

さて、今回目を向けるのは

「九条鷹匡のゼロ説」だ。

 

 

正直、音晴の方がゼロに近いものを感じていたのだが、三部になってから

九条鷹匡が七瀬陸やゼロと似ていると思うようにもなった。

 

まず、「ゼロ」について振り返ってみる。

 

・優しい(三月やスタッフ情報)

・訴求力の持ち主

・七瀬陸に似ている

・永遠を求めなかった

・容姿について誰も語っていない

・友人でさえ 本名や住んでいる場所を知らない

 

 

対して「九条鷹匡」

 

欲求のために人々をバラバラにする

・分析力が高い

・和泉一織に似ている

・永遠や完璧を求める

・容姿はすでに公開されている

・九条鷹匡の過去の人格を知っている人がいる

 

 

 

 まさに、ゼロと九条は別人だ。

欲望も思考も全てが違う。

 

 

が、一度だけ2部の時に 九条がゼロになりきっていた時があった。

 

 

その時の天は

「無意識にゼロを求めている」と考えていて

三月は あれはゼロではない、と考えていた。

 

三月は九条の演じるゼロに対して、

気持ちが伝わって来ないだとか感情が揺さぶられない、というような内面的なことに違和感を抱いていた。

 

また、七瀬陸は過去に ゼロはテレビで見たことがあると言っていたため、

九条天もテレビを通して見たことがある可能性が高い。

 

また、ゼロは世界中の人気者だったため

容姿を知らない人なんていないだろう。

三月の話によれば、 たまたま店に来たゼロを見破った挙句、店の周囲にいた人たちまで ゼロに気づいたと言っていた。

 

この点から九条鷹匡がゼロであれば

すでに気がついている人が 何人もいるはずなのだ。

 

 

だが、以前にTwitterのフォロワーさんから ご意見をもらった。

三月がゼロに気づいたのは

「ゼロとわかる格好をしていたのでは」

もしくは

「ゼロであることを明かしてくれたのでは」ということ。

 

もし後者であるのならば、

ゼロは仮装していなかったことになる。

となると ゼロ=九条である可能性は低い、

もし、仮装なしでゼロ=九条だったのなら 「九条鷹匡はゼロなのでは」と、三月が気づいているはずだ。

 

そのため、今回は前者の場合で考えてみる。

 

有名なアイドルが 街中を歩くこと自体

あることなのかと、疑問を持つが

なにせ、今までのストーリの中でゼロの容姿について 誰も語ってないのだ。

 

もしこれが伏線であるのならば

「容姿を語らない理由」が必ず 秘められているはずである。

 

逆に 「容姿を語られて困るのはなにか?」と考えてみると、

ずばり 「ゼロが誰なのか正体がバレる」からであろう。

 

となると、やはり

ゼロは 常に仮装をしていて 本当の姿を隠していた、ということが一番しっくりくる。

 

 

九条鷹匡が演じるゼロについて

三月が「ゼロではない」と言った件については、

「完全なるゼロ」には、なれていなかったからでは、と個人的には思っている。

 

 

ゼロになりきっていた 2部での九条は、

九条鷹匡でもゼロでもなく

「ゼロを求める九条」として「ゼロ」を演じていたのでは、と。

 

 

 

そもそも九条鷹匡には 多重人格の症状が見られる。

 

今確認できているのは

ゼロを求める九条」と

マネージャーの九条鷹匡」だ。

 

 

人格が2つある、これは 専門的に考えた時に 精神を守るための自己防衛反応であることが伺える。

 

多重人格者は基本的に

ストレスに耐えられなくなったときに、

他の人物に移り変わることでその場を乗り切ったりストレスを分散して 精神を保つのだ。

ストレスが多くなればなるほど人格の数も増えていく。

 

また、九条鷹匡が ゼロであった場合、

 

「主人格」がきっと

「マネージャーである九条鷹匡」

 

そして「副人格」が

「アイドルであるゼロ」であろう。

 

 

また過去の九条について

 

 「純粋で、素朴で、たまに抜けたところもあるけれど、夢にあふれた少年だったって…。」

 

という情報が出ている。

 

悪い印象ではないのだ。

この点から 真面目な良い子ちゃんであることもわかる。

 

わざわざ和泉一織に似ているように描かれている点からは、

否定されるのがとてつもなく嫌いで

自分の好きなものを認められることが好きだった可能性もある。

 

この「否定されるのが嫌い」は

「嫌い」というより「怖い」に近い感情である。

 

九条や一織に共通するであろう この感情は、

客観的思考を持つものなら

当たり前の思考回路である。

 

だが、その客観的思考能力が高すぎると、

常に他人の評価を気にし、失敗しないように危なくない道を歩んできたため、

失敗したり、否定することに、ありえないほどの恐怖心を抱き、

不安障害などを発症する場合も多い。

失敗したり否定される くらいなら死んだほうがマシだと考えるようにもなるくらいだ。

 

そのため、「否定されないように」と

人格を2つ作り上げて

「完璧な九条鷹匡」になろうとしたのではという考察もできる。

 

期待が大きくなればなるほど

失敗してはならない、というストレスにも値する。

「和泉一織」にとっては「七瀬陸」という

自分の代わりに夢を叶えてくれる人が現れたからよかった。

彼らは2人で互いに 「ないモノ」を補い合って完璧に近づけるようなそんなイメージである。

もし、九条に「七瀬陸」のような存在がいなかったとすれば、大きすぎる周りの期待から「完璧でないといけない」と自分を追い込んでしまい、自分を守るための自己防衛反応として「ゼロ」を作り上げた可能性があるということだ。

 

 

 

天が 昔の九条鷹匡の話を聞いたのは

海外にいる時だ。

それも「九条鷹匡の過去」として 教えてもらっていた。

 

 

その点からして

「九条の中に 当時は一人の人格しかなかった」という可能性も浮かび上がるわけで、

なんらかのきっかけがあって 2つの人格に別れたことになる。

 

また、それと同じように

「ゼロ」と「マネージャーである九条鷹匡」の2つの人格があったとしても

過剰なストレスにより 「ゼロ」でいる人格が失われた可能性もあるのだ。

 

 

 

また、もう1つの可能性として

「ゼロ」と「過去の純粋で素朴な九条鷹匡」

の2つの人格が存在していた場合、

 

周りからの過剰な期待により「ゼロ」である人格が心の何処かに追いやられ、

「ゼロがいなくなった」現実に 「過去の純粋で素朴な九条鷹匡」という人格も 心の奥底に追いやられ、

 

その結果  人格が3つとなり、

3つ目の人格が「ゼロを求める九条鷹匡」であることも考えられる。

 

過去の純粋な九条と、今の欲望まみれの九条は全くの別人であり、

当の本人は 過去の自分を覚えてない可能性もあるのだ。

 

 

また、「覚えてない」という点から

単なる解離性障害というよりかは

解離性同一性障害の可能性もあるため、そう簡単に治るものでもないのは明らかだ。

 

そして、「ゼロ」と「九条鷹匡」が同じ人なら、それを発症した辛い過去があることになる。

しかし 九条鷹匡は 「ゼロ」のことしか「辛い過去」として捉えていない。

 

だから、ゼロがいなくなる以前の

辛い過去なんて なかったんじゃないか?

同一人物じゃないんじゃないの?

 

と思うかもしれないが、

解離性同一性障害だった場合、

記憶障害を合併させてる場合が多く(解離性健忘)

解離性同一性障害を発症した要因のすべてを、頭の中から消していたりする場合がある(記憶喪失みたいなもの)

 

そのため、

「ゼロ」以前に辛い過去が語られてない→解離性同一性障害 ではない。

の証拠にはならないのだ。

 

逆に、解離性同一性障害の場合は記憶障害を持っている人が多いため、

「ゼロがいなくなる辛い過去」を覚えていること自体、

発症したのは「ゼロがいなくなるより前」かもしれないという可能性が高まる証拠である。

(高まるとはいえパーセンテージ的な話なので、九条が少数派である場合だってもちろんある)

 

 

 

ただ、様々な可能性はあれど

確定的なことは少なく謎めきすぎているがゆえに、

個人的には、九条鷹匡が ゼロになるというのは

かなりのこじつけで、難しい話なのでは、とずっと思っていた。

 

 

音晴がゼロだった場合の方が

ストーリー的にも筋が通るのではと。

例えばだが、

「結の命が尽きそうだったから、もしくは尽きたから ゼロをやめた」

「事務所に届いたゼロからのメッセージは 音晴がゼロとして置いた」(百の声が解決した後)

「ゼロのDVDを見ていた紡をみて、嬉しそうにしていたのは 自分が娘に褒められているようで嬉しかったのでは」

など、安易に ゼロである音晴が想像できるのだ。

 

 

だが、九条鷹匡がゼロを演じた時、

皆はゼロの再来だと、「ゼロ」であることを信じていた。

 

求めていたとはいえ、完璧に歌うなんてあり得るのか?

 

そんな疑問とともに、もう1つ 重大な疑問が浮かび上がった。

 

いや、疑問というよりかは 「確信」である。

 

 

 

「ゼロは九条なのでは」

という考えが 一番リアルに感じられる理由は、

 

 

 

 

訴求力だ。

 

 

 

「ゼロ」「七瀬陸」

この二人が持つ 訴求力は真似しようとして真似できるものではないことは 

皆もよくわかっているであろう。

 

真似できるものであるなら とっくに皆がやっている。

 

分析が得意な和泉一織でさえ、真似ができない、

真似ができていれば

「自分の大切な七瀬陸を認めてもらう」のではなく、自ら愛されることで、承認欲求を得る道を選べていただろう。

 

 

そんな中、「ゼロ」と「七瀬陸」以外に

強い訴求力を持っている人物が いるのは知っているだろうか?

 

その人物が九条鷹匡である。

 

 

 

まず、九条鷹匡が狙っていた人物についてまとめよう。

 

九条天

四葉

亥清悠

 

折笠千斗

逢坂聡

 

四葉理や亥清悠の二人は まだ 性質がよくわかっていないが

 

その他の3人は 確実に自己実現欲求を持っていた人たちである。(欲求についてはこちらアイドルの欲求について - I7 blog

そのため、四葉理や亥清悠も 同じ欲求を持っていた可能性が高い。

 

 

また、九条鷹匡に誘惑された時の様子について

わかっている人物を まとめてみると、こちらも共通点がある。

 

ー九条天ー

自分の大切な片割れや家族が危機に陥った時。

借金返済により 養子になる

 

四葉理ー

やっとできた 大切な家族が苦しんでいた時。

借金返済により 養子になる

 

ー折笠千斗ー

親友である万理が顔に傷を負った時。

手術代を肩代わりしてあげると言われ、ついてこうとした。

万理が姿を消すことで  千は「手術を受けさせる」という目的が達成できなくなりついていかなかった。

 

 

この点から

 【大切な人が危機に晒された時】

【大切な人を守りたかった時

がキーワードになっていることがわかる。

 

そして、結果的に「ついて行った天と理」と「ついて行かなかった千」の2つに分かれたわけだ。

 

 

それをまとめてみるとこんな感じである。

 

 

ー九条について行った 天と理ー


【九条に恩返しがしたい】(プラス思考)


大切なものを守れて少なからず安心感や幸福感があった。
また、九条の夢を叶えてやりたいと思うことで、自分が幸せにしてあげるための対象が なくならずにすんだ。(自己実現欲求を持続させることができた)

 

 


ー九条について行かなかった 千ー


【絶望し落ち込んでいた】(マイナス思考)


親友がいなくなり 「一緒に、死ぬまで歌っていよう」という自己実現欲求が満たされなくなった。(自己実現欲求を維持できなくなった)


また、百が万理の代わりをしてくれるようになったが、その間も 万理に再会するまでは「自分だけ成功した後ろめたさ」という複雑な気持ちに悩んでいた。

 

 

この2つの違いから考えて

九条について行った人の方が精神が安定しているのがわかるだろう。

 

天や理は大切なものを守ることができたから

「九条さんに恩返しがしたい」と思うようになっていたのだ。

 

まるで、九条のやり方は

恩を受けたら抜けられないという星影のやり方に似ている。

 

九条さんに恩をもらったことを語った後は

天も理も【期待に応えたい】と言うのだ。

 

 

ただ、恩があるから【期待に応えたい】とはいえ、

あの鈍感な環や陸ですら、

「やり方がおかしい」

「人をバラバラにする」

と、批判をしているのにも関わらず

天や理は、毎回 九条鷹匡を庇う。

 

 

九条さんは可哀想な人だからと。

 

 

一織が以前、訴求力の説明をした時に

「真の訴求力」は愛らしさより痛ましさ

と言っていたことを覚えているだろうか。

 

九条鷹匡と 天と理の関係をみると まさにその通りなのである。

 

 

天や理の九条への意思をみると

まるで洗脳されているような、

薬漬けにでもされてるようなそんなイメージなのだ。

 

まるで一織が七瀬陸にすべて捧げようとしているように。

 

 

 

 

TRIGGER解散を言われた時、天は九条鷹匡に抵抗していた。

 

この事実があるため、

決して 自分の意思を出せないわけではないのだ。

抵抗だってできるのだ。

 

 

だが、天は その後に九条の嘆きを聞いてしまった。

 

そして九条の嘆きを聞いた後の天の心情は 明らかに様子がおかしい。

 

あんなにも TRIGGER解散や、
龍や楽の価値についての九条の意見を
否定していたのにも関わらず、だ

 

「TRIGGERを続けることは 九条さんのため」

となるように、意見を九条に述べるのだ。

 

本当にこのシーンは気持ちが悪い。

 

この時の九条鷹匡は絶対的に逆らえない権力者のような そんなイメージである。

自分のことをうまく信仰させている。

 

 

まるで、一織でもコントロールできない七瀬陸の訴求力にしか見えなくて、恐ろしくなった。

 

 

「人の心を鷲掴みにして、引きずりこんで、かき集めるブラックホール。」

 

まさにこれだと。

 

 

訴求力はやろうとしてできるものでも

欲しいと思って植え付けれるものでもない

 

そのため、九条鷹匡も無意識にやっているという可能性が高い。

 

そうなってくると ズバリ 九条鷹匡がゼロである説がうまく通るのだ。

 

 

その証拠に九条さんの話をしたり、九条さんと話をするシーンで 

「2パターン」の意思が共通して存在しているのにお気付きだろうか?

 

 

まず1つ目のパターンは

九条鷹匡のことを自分を助けてくれた恩人や、

マネージャーとして 見ている時である。

 

 

その時の二人は

 

九条さんに恩返しがしたい】

【九条さんの期待に応えたい】

 

そんな意思を持っている。

 

 

 

しかし、もう1つのパターンとして

天と理が 九条さんは可哀想な人だから

と悲しそうに語る場面や

天もいなくなくなるのか?と九条に責められた場面など、

 

「九条は不幸な人間」であることが見受けられる描写になった時には、

 

恩返ししたい」「期待に応えたい」とは全く別の言葉を二人は発している。

 

 

 

 

【あなたの夢を必ず叶えます】

 

【あの人の夢を叶えてあげたい…】

 

そう、言っているのだ。

 

 

「言葉遣いの違いじゃないのか?」と思う人もいるだろうが、

決定的に違うんだ。

それをわかってほしい。

 

 

可哀想な人だからという認識があるときは

「恩返し」や「期待に応える」という言葉ではなく

 

必ず「夢を叶えたい」というキーワードを入れて話すのだ。

 

 

絶対に 作者は 「恩返し」と「夢を叶えてあげる」の二種類のキーワードを使い分けている。

 

その使い分けこそ、伏線だとすれば

コントロールできない九条の訴求力に、

天と理がまんまとハマっていることが安易に想像できる。

 

 

夢を叶えたい」という欲望は

一織が訴求力の説明をしてい時に発していた

七瀬陸の願いを叶えなければ。

彼の幸せのために、何かしなければ

という言葉に直結するのだ。

 

 

逆に考えると「恩返しがしたい」だとか「期待に応えたい」というのは

「恩」をもらった「お返し」であって、

「夢を叶えてあげたい」というような「無償のプレゼント」ではない。

 

また「期待に応える」に至っては、

九条鷹匡の前で発する場合、九条鷹匡を落ち着かせていたり、宥めていたり、という その場をしのぐための場合も多々ある。

 

 

その点を踏まえて ゼロ=九条説が通る場合 

「ゼロという人格」で生きていた頃の九条が

今現在じわじわとまた 「マネージャーである九条鷹匡」の人格を乗っ取ろうとしていて、

抑えきれなくなった時に訴求力が無意識に出てしまう。

 

また、2人が「恩返し」をしたいと語るときは

訴求力の影響を受けてないため、

「マネージャー」や「養父」としての九条鷹匡が実在していることは事実だ。

 

「マネージャー」や「養父」である九条鷹匡に2人は訴求力を感じてなくて

「ゼロを求める、可哀想な九条鷹匡」に対しては 訴求力を感じている。

 

 

 

それを踏まえて個人的に考えられるのは

「訴求力を持つゼロ」という人格は今「ゼロを求める九条」に変換されて 、

九条の中で実在し続けているのではないかなぁ、と。

 

 

解離性同一性障害だった場合、

「ゼロの人格」は消滅したように見えたが そうではなく、

「マネージャーである九条鷹匡」が普通に生活している時も、

じわじわ成長していた可能性がある。

 

「マネージャーである九条鷹匡」は自分の中のもう1つの人格に気づいていなくても

もう1つの人格は単独で 思考を巡らせて 成長していくのだ。

九条がゼロだった場合は、

この「成長した人格」が「ゼロを求める九条鷹匡」である可能性もあるため、

「ゼロを求める九条鷹匡」=「副人格」であることを踏まえると、

「ゼロを求めている時」は主人格が副人格に乗っ取られている状態であることが考えられる。

 

 

そして、最近になって訴求力が 目に見えてわかってくるようになった。

 

その事実から

副人格の「ゼロを求める九条鷹匡」は

主人格である「マネージャーの九条鷹匡」を

完全に乗っ取ろうとしているのでは、ということが考えられるのだ。

 

主人格が、副人格に乗っ取られると

本来の人格を失う。

どれが本当の人格なのかも 本当にわからなくなってくる。

 

もし、この仮説が通ったら何が面白いって、

2つの人格が ずっとあるのに、

天も理ちゃんも 気づいてないんだよ。

 

 

これこそ、多重人格の難しいところなんだよね。

多重人格者って 人格たくさんあることに自分も周りの人も気づいていない場合がある。

誰も気づかず、学校卒業して就職して 結婚して、みたいな ごく普通の生活をしてる場合もあるんだよな。

 

周りの人からは

単に「たまに短気になるよね」とか「急に優しくなるときあるよね」というような

「性格の一部」としか認識されておらず

まさか他の人格に入れ替わっていた、なんて考えられない、という場合があるのだ。

 

 

 

 

 

 

また、九条の訴求力については、一織や陸に重ねて考えてみるとわかりやすいと思う。

 

以前、一織は 陸の体調が思わしくなく アンコールに出られなかったとき

陸に歌わせなかったことに「罪悪感を覚えた」と言った。

そのときは大和が

陸をステージで倒れさせるまで、歌わせたかったのか、と 珍しく 真剣に一織を批判したが、

それでも一織は腑に落ちないようだった。

 

きっと、一織は 世界中の医者が止めても、歌っていたい、死ぬまで歌っていたい、と思っている陸を知っているからだ。

 

誰よりも近くで  可哀想な陸、を見ているから

真の訴求力を浴びて使命感に駆られている。

 

 

そんな 「一織」と「陸」と「大和」の関係を

天と理ちゃん」と「九条さん」と「他の人」に置き換えて考えると わかりやすいだろう。

 

 

「一織」=「天と理ちゃん」

「陸」=「九条さん」

「大和」=「他の人」

 

 

と、なにかしら その時の感情に繋がりを感じるはずだ。

 

 

 

「天と理ちゃん」は誰よりも近くで九条の訴求力を浴びている。

 

だが、「他の人」からすれば

「どう考えても九条のやり方はおかしい」と考えられてしまう。

 

その他者との違いこそ、

「天と理ちゃん」「一織」のように、

夢を叶えてあげなければ」という使命感に駆られているのも安易に想像できる。

 

きっと、使命感に駆られているからこそ

一織はステージに立てなかった陸を見て罪悪感を覚えていて、

天と理ちゃんも同じような思考回路になっている。

2人も罪悪感にかられないように 九条の夢を叶えようとしているのだろう。

 

 

そう考えるとやはり

九条鷹匡のゼロ説は結構あり得る話なのではないかと思ってしまう。

 

筋の通らないところもたくさんあるが、

春樹が一言も「九条鷹匡」の名前を口にしてないのも引っかかる。

生前遺言書の件も前回のブログで紹介したが、春樹が送ったものでないならば

九条のことを春樹は全然想ってないことにもなる。

なぜこんなにも 春樹はゼロが大好きなのに 

九条のことは ない人のように 扱っているのか。

 

 

過去のストーリでゼロの最後のステージの日、ゼロアリーナから

精神病院に運ばれた人がいたと言っていた。

 

その人物がゼロではないか、という意見について IDOLiSH7のメンバーは否定をした。

 

ゼロのマネージャーと名乗る男(九条)が、ゼロの居場所は知らない言っていたことを知って

仮に精神病院に搬送されたとしても、マネージャーも知らないなんて あり得ないだろうと。

 

 

あり得ないよな。

あり得ないんだ。

 

 

だが、論外として

九条とゼロが同一人物だったらあり得るんだよ。

 

 

また、何度も言うが 他の人格が現れている時と元の人格の2つがあった場合、

全くの別人として本人は捉えていて、

人格が変わったことにすら本人は気付いていない場合もある。

 

 

例えばの話 ゼロが九条だった場合に考えられることを上げてみる。

 

ゼロである人格の九条を「☆さん」

九条鷹匡というマネージャーの人格としての九条を「◻︎さん」と記載する。

 

 

「☆さん」がマスクをして素顔を晒さず キラキラしたステージで歌っていた。

それを「◻︎さん」 が テレビで見て 素敵だな、すごいなと感じる。

 

 

こんな現状が生まれるのだ。

同じ人が 全く別人として 1つの世界で生きている。

それなのに、当の本人は気づかない。

テレビで自分の姿を見ても なにも感じないし、 自分だということに特に 気付きもしない。

 

記憶がないのはもちろんのこと、

「◻︎さん」と「☆さん」は同一人物だったとしても、多重人格者の場合

「◻︎さん」でいるときの記憶や意思は「☆さん」でいる時には存在していない場合がある。

 

 

少なくとも2部を見た限り、

「ゼロでいる時の九条」は 自分が九条であることを理解しておらず、

また逆も然りで

「九条鷹匡でいる時の人格」に「ゼロとして生きている九条」は気づいてないない。

 

もし九条鷹匡が衣装を纏うことで「ゼロ」としての人格を目覚めさせていた場合、

衣服を纏おうとしていたところの記憶から 全てが飛んでいる可能性もある。

 

また、マスクも含め衣装を家で纏わせていた場合、毎日一緒にいるような親身な人 にしか

九条とゼロが同一人物であることに気づかなかった可能性もある。

 

人格が複数ある場合 ガラリと性格も変わるため

「まさか同一人物なわけないだろ」と周りの人が思っていた可能性があるのだ。

 

 

ただ、1つ九条鷹匡にだってゼロ以外の親身な人や友人はいたはずだ。

春樹はなんなんだろうか。

 

春樹はゼロを探していた時点で 少なくともゼロの容姿は知っている。

だが、ゼロ=九条であり、九条とも接触していたのならば

ゼロの本名は九条鷹匡であることも気づいているはずだ。

 

だって、ゼロに仮装していた九条鷹匡を

九条天は 見破った。

 

いくら顔を隠していても見破れる要素はあるのだろう。

 

 

そのため、九条=ゼロ説が成り立った場合

ゼロが活躍していた時代は 

「マネージャー」である九条の人格は きっと心の奥底に眠っていたのだろう。

副人格であるゼロの方が表に出ていた可能性が高い。

 

そうなると、春樹はそもそも「九条鷹匡」という人物を知らない可能性もある。

「今の九条鷹匡」が春樹を友達と言っていることに関しても 九条とゼロが同一人物なら

「マネージャーの九条」と「ゼロである九条」の2つの人格での記憶が混乱している状態なのかもしれない。

 

そのため、

春樹の口から九条鷹匡のことが語られた場合、この考察は筋が通りにくく

逆に春樹が九条の話をしなければ この考察の筋が通りやすくなる。

 

ただ、先ほども言ったが 生前遺言書はあてにならないため、「春樹の口から直接」語られることが謎を解くキーだ。

 

 

 

九条はゼロとして生きていて、

ファンのざまざまな「好きの感情」に困惑した時、主人格の「マネージャーである九条鷹匡」に人格が戻ったのではないかと。

 

そして、マネージャーである九条鷹匡は、

全くの別人としてゼロを期待していた。

 

だけれど、体は1つしかない、

だから精神的にも身体的にも限界が来て

狂ってしまったではないかと。

 

精神病院に運ばれたのがゼロであり九条鷹匡でもあるのならば、すべて筋が通るし、

訴求力を九条が持っている理由も理解ができる。

また、「ゼロ」という名前についても

「存在しないから」という理由である可能性も浮上する。

 

最初は小鳥遊以外に「零」という文字が名前に含まれる人物が登場したら

その人が怪しいかな、と思っていたが、

 

「零」と「ゼロ」は意味が違うらしく、

「零」は全くないに近い状態で

「ゼロ」は全くないことを指すらしい。

 

そう考えると

「ゼロ」=「存在しない」という考察も できる気がする。

 

 

とはいえ、ゼロ説については  こじつけなところもあるので これから新たな発見があれば また考察したい。

 

九条に主人格と他人格がはっきりあったとして

主人格がマネージャー

他人格がゼロ

であったとしたら、元々の九条は訴求力を持ってないのに、 自分の中で作られた理想の自分が訴求力を持ってる、ってことになるわけで

非常に恐ろしすぎる話だろう。

 

訴求力は持とうと思って持てるわけではないのに、なぜ本来の九条ではない人格が訴求力を持ってるのか。

九条にとっての「完璧で理想の人格」が作られた時に たまたま訴求力が備わったのか?

と、そういう話にもなってくるわけだ。

 

あとは、他の人物のゼロ説についても いずれ考察してみようと思うので それはまた今度。

事務所の社長たちの関係性についても妄想を膨らませてみたいよね。