i7 blog

アイナナについての考察や感想を気ままに書いています。

アイナナで人生を変えられた女の行く末。

私情ではありますが

Twitterの垢を消し、ブログの更新もやめようと思っています。

 

 

 

私はアイナナを始めて 様々なことを学べました。

私自身 IDOLiSH7のメンバーを全員足して割ったような家庭で育ったので客観的思考ばかりが働き承認欲求がとても強い人間です。

 


正直考察ブログを書いていたのも Twitterで考えをつぶやいていたのも、

「すごい」と言ってくれる人や 自分の考えを認めてくれる人がいたから書いていた、というのが大きいです。

 


いいねをもらえれば嬉しい、もらえなければ落ち込む。


引用してくれたらウキウキして、反応が少なければ反応が多い人に嫉妬する、そしてそんな自分に恥ずかしくなり 自己を否定する。


そんな感情の波がある。

 


また家では否定ばかりされていたため Twitterで同じコンテンツを好きになった人たちと関われる(否定されない)ことも 安らぎになっていたのだと思います。

 

 

しかしながら、アイドリッシュセブンを通して 自分も家族に縛られず 自由に生きてみたいと思うようになりました。

 


昔から好きなことはたくさんあります。

 

絵を描くのが好き、

ギターやピアノで曲を弾いたり、でたらめな曲を作るのが好き。

お裁縫も好きだし、料理も製菓も好き。

オタクをしている時間も大好き。

 


ただ、以前の私は「好き」な物を正直に他人に言えなかった。

同年代の子たちは みんなでキャピキャピ騒いで 美味しそうなものを食べていて。

まだまだJKの余韻が残る 今ドキの子というイメージがあり、私も皆と同じことがしたかった。


友達と遊ばず、出かけず、部屋にこもって淡々と趣味に没頭する。

そんな自分が嫌で仕方がなかった。

 


その理由は 「自分が皆と違うから」です。

 


昔から両親を怒らせないように、兄弟がイライラしないように 周りのご機嫌とりだけをして育ってきたので人に合わせることしかできず、

自分の感情がわからなかった(自分の感情は恥ずかしいものだと思っていた)からだと思います。

 

 

しかしアイナナを進めていく中で キャラクターの感情を読み取り 共感をするということで自分の心の奥底にある感情にも気づけました。


自分の好きなことをする理由は、放任主義の家庭で育った千さんや否定ばかりされて育った壮五くんと同じだったのです。

 

 

好きなものを生み出すことで

生み出すものに自分の感情を込め、周りの人に伝えたかった。

 


オタクをするのも 推しに感情移入して自分ことのように一喜一憂したかった、自分が輝くのは難しいけれど努力して輝いている人を見るのは好きだし、オタクをして感情移入したって 自分が推しになるわけじゃない。だから自分は期待されない。

それが魅力的で 楽しかったからアイナナのマネージャーをしていたようです。

 


「私はなぜこんな周りの人間と違うのか」

「そもそも なぜ『違う』と気にするのか」

今まで悩んでいた理由は笑ってしまうほどに

とても簡単なものでしたが、

そもそも自分を分析したことはあっても 育った環境上 自己肯定ができない人間だったので

鏡のように 第三者に自分を重ねて、その対象者を分析して 自分の感情を知るという術でしか、 自分と向き合うことができなかったのです。

 

アイナナに出てくる登場人物が たまたま私とよく似ていた人物ばかりであったため、

アイナナのキャラクターを通して自己を分析し、素の自分の存在を自覚できました。

 

3次元であるが故に 意図してキャラクターを作り上げた人が存在するアイナナでは、

意図を考えることで感情移入がしやすく 分析もとてもしやすかったのだと思います。

 

無意識に偏見を持たれて差別を受けることが多かったり「可哀想な子アピールなんじゃない?」「悲劇風に語って自分語りするなよ」と思われることもよくあるので今まで意図して隠していましたが、私はACであり 家庭崩壊の家族で育った影響で精神疾患もいくつか発症している身です。

 

アイナナを始める前は薬を飲みまくったり 刃物で自分を傷つけて死ぬことばかり考えていた引きこもりでした。

自分を傷つけるという行為に理解してくれる方はなかなか少ないですが、私の場合はストレス発散と痛みにより嫌なことを忘れるという現実逃避。

また、親から愛情を注がれていた実感がなかったがために 「親の気を引きたいという気持ちから行為を行っていた」という面も少なからずあり、

とても幼稚な行為ではありますが 当時のことを考えると言葉で親にSOSを伝えられなかったために「自分は皆と違う、おかしいから助けてほしい」と気づいて欲しくてやっていたのだと思います。

 

AC特有の感情ではありますが、両親が憎くて仕方がなく、また自分の行動 感情 すべてが恥であり、素直になることも怖かった。

 

素直になることが怖いという感情もACではない人には なかなか伝わりにくいのですが わかりやすい例だとZOOLくんや一織くんによく似ています。

 

素の自分が否定されるのが怖いから 周りに嘘をついたり、

自分の感情に蓋をして 周りの人に合わせることで否定されないようにする。

 

また他人を馬鹿にし周りの人の評価を自分の中で下げることで自身の評価が上がったように 自己暗示して精神を保つ。

 

他にも 自分を過大評価されているように見せることで 周りの人に「私はすごい人なんだぞ」と思わせ  逆らえないようにする。(否定されないようにする)

 

そんな自分が嫌で仕方がなくて

『この家に生まれてなければこんなことにはならなかった。』

そればかりを考えてずっと未来に希望が持てなかったのです。

 

 

私の場合 自分の家が可笑しいと確信した時が高校生。

 

そしてこの家から出て行きたい、どうにかしなければ、と考えられるようになったのが18の時。

 

もう年齢的に施設にも入れず 誰も自分を守ってくれはしません。

 

それなのに、病気も持ち 通院費もなければ 感情の起伏や体調不良によりアルバイトもできないため家族と離れ一人暮らしをするわけにもいかない。

 

「どうにかなるから家出をしてみたらいい」と友人に言われても

そもそも自己肯定ができず『どうにかなる』という感情が全くない人間であったため 未来に不安しか持てず「そんなに簡単なことじゃないのに。」「私の感情は誰にも理解されないんだ」と寂しさに飢えるばかりでした。

 

そのため  狂った人生を誰のせいにして良いのかもわからず『こんなデタラメに育てておいて 助けてくれない親』だと思い込み、両親恨むことしかできなかったのです。

 

今現在は心理を学んでいる身であるので 多くの人の家庭環境にも目を向けることが多くなりましたが、今の時代 案外自分と同じような人間は多いということや

自分が機能不全家庭で育ったことに気づいておらず、自分の子供にも同じことをして負の連鎖に陥ってしまう人が多くいるということも知りました。

 

そのため、このブログを読んでいる人の中にも 同じような人はいるのではないかなと思います。

 

そのような人にこそ 私は大声を上げて《変われた今》を伝えたいのです。

 

 

アイナナを通して「自由に生きること」を学び 家族のご機嫌とりをすることも、自分の好きなものを「みんなと違うからだめなんだ」と否定することもなくなり、今では 罵声や暴力などに怯えなくとも昔より家で好きなことができております。

 

少しずつではありますが親の許可を取ろうとしなくても自分の意思で好きなことができるようになり、

自分の素を見せてわがままを言って、友達に甘え頼らせてもらう、ということもできるようになりました。

 

成長できていると自覚があり、両親に対し「憎い」と思うことも減ってきています。

 

 

もちろん ACから抜け出すということはそう簡単でもなく、家族によって作られた精神疾患とも死ぬまで付き合わなければならないものなので こうなれた全ての要因がアイドリッシュセブンと言い切るわけではありません。

 

人が変わるきっかけは良くも悪くも きっと そこらへんにコロコロ転がっている。

私にとっては、それが「アイドリッシュセブンだった」というだけです。

 

それでも 私にとって その『きっかけ』は間違いなくアイドリッシュセブンであり、

アイドリッシュセブンを通して キャラと自分を重ねて「こういう生き方があるんだ」という価値観を素直に広げる能力を身につけられたからこその成長だと感じています。

 

ただ、まだまだ家族に縛られており自己受容もなかなかできない身なので、

誰かに承認欲求を満たしてもらおうと期待している この場所が邪魔なのだと気づきました。

 


人の目を気にして 誰かに期待して 認めてもらうより、壮五くんのように自分の好きなことをして 自分のために生きてみたいのです。


誰かに振り回されて一喜一憂するより

自分の能力で生きた人生に一喜一憂してみたいのです。


ここに記載した理由は 

「アイナナって本当に人生を変えてくれるんだぜ!」

「めちゃくちゃすごいコンテンツなんだぜ!」

「すっげー変えられちまったぜ!」

と、皆さんにご報告したい気持ちが溢れているからです。

 


大袈裟でもなく本心で言いますが、

もしも、アイナナに出会ってなかったら 価値観も広げられず両親を恨んだまま 未来に絶望して今生きていないかもしれません。


共感することの大切さ、自分を信じることの大切さ、自分の感情を押し殺さない大切さ。

 

どれもアイナナで学び、確実に自分のために生きる一歩を踏み出せました。

 

小学生になる前から 「自分は周りと何かが違う」「皆のように感情が表に出せない」と一人で悩み生きてきましたが、

アイナナに出会って たったの1〜2年で 自分の人生の全てが覆されたのです。

 

今までの人生の中で、今が一番 楽しいです。


公式さんに感謝を伝えたくとも 

そんなに近くで伝えられる分際ではないので 

せめて アイナナを始めて 『変われた自分』『人生が前よりも楽になった自分』の存在を公表して

「素直になれずに苦しむACはどこかにおらんか?アイナナやってみると良いぞ。」

という気持ちだけでも周りに広められればなと思います。

 

 

 

 

Twitterは「周りからどう評価されているか」が とてもわかりやすく、

今の自分には向いていないものだと思っているので、万理さんのお誕生日あたりでアカウントを削除する予定です。

(メモ感覚でTwitterで呟いていましたが、アイナナの考察をやめるつもりはないので

しばらくはTwitterで呟いた考察の整理をする期間を設けさせていただきます。)

 

 

今の段階では自己実現の欲求に足を踏み込んでもないので承認欲求を0にできると思っているわけでもなく

また、したいと思っているわけでもなく

少なからず「私の好きなアイナナが広まれば嬉しい」とも思っているので ブログの方は《アイナナ沼にハマる人が増えれば》と消さない意向です。

(しかし、ブログの更新自体は評価を得るためだったのでこれ以上更新するつもりはない。)

 

 

楽しみにしてくださっていた方がいるのにも関わらず自分勝手に色々と決めてしまいすみませんが、

他人の意思に左右されず自分勝手に生きること

が今の自分に一番必要な能力だと思っているので 誰にも左右されず私の人生を作る第一歩として自分勝手にコミュニケーションの場を閉めさせていただきます。

 

 

 

 

最後に、アイドリッシュセブンというコンテンツを生み出してくれた皆様、

色とりどりに飾ってキャラに命を吹き込んでくださった声優の皆様、

そして、今まで私を否定せずに見守ってくださっていたマネージャーの皆様、

 「新しい自分」との出会いを下さりありがとうございました!

 

 

 

まだまだ見知らぬ誰かに期待して 「褒めて欲しい」「持ち上げてほしい」と思っている自分がいるため  揺れているのも事実ですが、

『誰にも左右されない私だけの人生』を目標に、手始めとして 邪魔な感情は できるだけここに置いていきます。

 

それでも、これから先 アイドリッシュセブンというコンテンツが大好きであるという気持ちだけは 一生 どこにも置いてかずに 生きていくと思います。

 

これからもアイナナから沢山のことを学んでより自分の人生を生きていけたらいいな。

 

 

では、皆さま お元気で!

さようなら!(^^)/~~~

ピタゴラス☆ファイターのお話

 

「『ピタゴラス☆ファイター』の意味がわからないの考察して欲しい」というメッセージをいただきました。

 

この熟思するテーマを用意してもらったのが結構前なのでとてつもなく今更で申し訳ありませんが、

三部も終わって ナギくんのお辛いストーリーが舞い込む前に 皆が安心できるような考えを述べてみようかなと。

 


(毎度言いますが私は作者でもなんでもなく意図を理解してる確信があるわけでもないので、あくまでも こんな考え方してる人もいるよ〜程度にご覧ください)

 

 

ただ、ピタゴラスファイターの歌詞って当たり前だけれど ピタゴラ組3人のことを言っているがために、同じような意味合いを持つ歌詞をたくさん入れているように感じる。

同じような表現に対する比喩が多いので、

Sakura Messageの時とは違い

歌詞一つ一つにツッコミ入れるというより 全体的な感想を。

 

⚠︎大和三月ナギの関係性を「ピタゴラ組」として記載しています。

 

 

まず、ナギの異文化学んで〜がすでに歌詞の意味のおおよそを解釈しているように感じるんだが、

一番わかりやすい例は

【たい焼きの好みが皆違う】ということに関して。

単なる「好みの違い」ではあれど、

流星に祈るでも出てたんだが 一織と陸の関係を大和は「異文化交流」だと言っている。

「考え方が違う」「生きてきた環境が違う」というような理由だとは思うのだけれど

ピタゴラスファイターの歌詞も まさにそれで

大和 三月 ナギの3人はIDOLiSH7の中で異文化を極めたような集まりであり、

皆 「アイドル」以外に秀でた才能がある人たちである。

 

例えば他のメンバーの戦う場所は

陸なら星屑を降らせるためのステージ

一織は一歩下がった主役のサポート役(客観的思考能力により流れ星が一番輝くための紺青の空を作り出す)

環はダンスの才能でメンバーを引っ張り

壮五は今だからこそ「作曲」に手を出して「音楽界」での活躍の場を広げようとしている。

また環と壮五に至ってはMEZZO"としてIDOLiSH7の道を切り開くことも過去、IDOLiSH7の中での立ち位置として重要な役割となっていた。

 

 

それに対してピタゴラ組は

大和 →俳優

三月MC

ナギモデル

という、彼らにしかできない上に「音楽」とは少し離れた才能がある。

先ほどツイートもしたが彼ら3人の特技は 本当に無敵のIDOLiSH7を作り出すために欠かせないものなのだ。

https://twitter.com/riku_ten_7/status/994539786353328129?s=21

https://twitter.com/riku_ten_7/status/994540016905764864?s=21

ツイートには記載していないけれど、

「庶民派アイドル」という肩書きがあるRe:valeに対しては その対になるアイドルがナギになるため、ビジュアルを重視した場合圧倒的な差を作り勝てる材料になる。

(⚠︎あくまで初期から「美しさ」を強調されてきたナギと 「庶民派」であるRe:valeの《公式設定の話》であるため 三次元の私がRe:valeのビジュアルが悪いと言いたいわけではない。)

 

上記の事を前提に

この3人が合わさった状態は、歌詞にも出てくるレオナルドのことを示していることもわかるだろう。(レオナルド人類史上最も多才な人物として知られている)

ナギが思っていた

「三位一体」

文殊の知恵」

という言葉がまさにピタゴラ組であるが、そのことは後で記載する。

 

題材にもなっている

ピタゴラスは 「ピタゴラスの音律」のことではないかなと思っている。

 

ピタゴラスというと

ピタゴラスの定理」もあるが、

その場合は少し面倒な考えをする必要がある。

ピタゴラスの定理「a2+b2=c2 」という数式。

直角三角形の斜辺を求める時に、

下辺と高さがわかれば 斜辺がわかるという考えだ。

a2+b2=c2 にピタゴラの数字を当てはめると

2×23×36×6   

になる。

 

けれど、これは成り立たせんのです。

 

けれど、無理やりにでもピタゴラスの定理ピタゴラ組を組み合わせるのであれば、

歌詞やピタゴラ組の衣装カードにあるように「2×36」という数式にすると成り立つ。

 

この「2×36」はレオナルドによるピタゴラスの定理の証明を解いてみるとわかると思うんだが、 この数がわかればピタゴラスの定理の証明ができちゃうんだな。

2×36」は 四角形の「底辺×高さ=面積」と同じ数式で、

レオナルドの証明の仕方は

三角形を一つ増やして解くんですけれども、

となると 三角形二つ分の面積を組み合わせると「四角形」になるので上記に書いたような数式でも表現できる。

レオナルドの解き方だからこそ考えられる数式であるが、この考え方は少し回りくどすぎると思うので個人的にはあまりいい考えではないと思っております。

 

 

で、初めに述べた「ピタゴラス音律」というものに話を戻すと

ピタゴラス音律は「2:3」の音を綺麗な音である「ソ」だとして その音をベースに 他の音を作っていく。(2と3は大和と三月の数だが、私的にはここは重要視してない。)

 

音には アイドルと同じように「12音」があってそのうちの「7音」が基本的にメロディを奏でる音である。

語彙力がなくて申し訳ないんだけれども

この12音のうちの7音は、「 1つ目の音がド!」「1つ目の音はAを示すラ」とかではなくて、調が変化するたびに その都度変化するものなので「7音」が基本、といえど この7音がどの音なのかも変化し続ける。

 

f:id:haruchi1130:20180510204252j:image

 

例えば「ド」が「1つ目の音」(ハ長調)なら

「ド レ ミ ファ ソ ラ シ 」が「7つの音」。

けれども「レ」を「1つ目の音」(二長調)にすると

「レ  ミ  ファ♯  ソ  ラ  シ  ド♯ 」

が「7つの音」になる。

私自身ずっと音楽をやっているので

アプリを始めた頃に 「IDOLiSH7」が7人で他に5人アイドルがいるという構成的に

「主になる7音」=「IDOLiSH7」なのではとばかり思っていたんだけれど

今回考えた時にピタゴラ組だと全く別の解釈をすべきなんじゃと思うようになった。

IDOLiSH7」を支えるようなグループなのでピタゴラ組単体では「7音」のうちの「3音」という考え方を恐らくしてはいけないんだろうと思っておる。

 

いわゆる音色の土台となる部分がピタゴラ組であり「7音」を作り出すのが3人の役目なのではなかろうかと。

 

だからこそ」「」「が彼らに当てられたマークでもあるのではと思う。

 

このマークがあれば どの「調」にも変化させられて基本になる「7音」が確実に表せられる。

そのため コロコロと調が変わる曲に出会ってもピタゴラ組のマークがあれば まとまった「一曲」を作り出すことができるのだ。

稀に」と「」を掛け合わせれば「」は必要ない、だから 彼らのマークはナギくんがいなくなる伏線では?と口にする方を見かけるが そんなのは譜面上ありえるわけのないことで。

」や「」がついている音符は

」がなければ 「」「」が付いていないノーマルの音を作り出すことはできない。

例えばの話「#のド」の音符が譜面上に出てきた後に、「」を書き足したとしても「ただのド」にはならず「半音下がったド」になるだけだ。

譜面上のルールとして「#」と「」は同じ音符につけられないため 「#」なんて記号はなく、「戻す」役割はナギくんの持つ「」でしか表すことはできないのである。

 

 

 

話がちょいと変わるけれど、

コロコロと調が変わる曲って大概が「物語性のある曲」であって、

「悲しさ」や「嬉しさ」というような感情であったり、「大雨」「晴れ」といった天気の様子、「春夏秋冬」の季節をテーマにした曲とか。

日常から夢の世界まで さまざまなテーマを持って物語を楽譜上に記すことができる。

 

それを前提にアイナナの各キャラクターに与えられたマークが楽譜上に記載できるマークであることについて。

なにも違和感を持たずに今までやったきたけれど、紡ちゃんに音符があるのって不思議じゃない?IDOLiSH7の一員だという考えもできるけれど、だったら他のマネージャーにもあるだろうし。

 

単純に「音楽ゲームだからその人に合った記号を」というより、

主人公である紡が「♩」(四分音符)を持つことによって、様々な物語を綴れる曲が作れるんじゃないのか?

それこそ、作曲をしたことがある人ならおそらくイメージを沸かせやすいけれど、桜春樹みたいに その時の感情を曲として残すような。

 

今現在公開されてるマークは17つ。

IDOLiSH7が「基本の七音」を作る役だとして。

それとは別に17つのマーク(紡+7人+3人+2人+4人)が 曲に物語性を持たせていく。

主人公役の紡 視点の物語を作るとするならば

紡が音符を綴る役になって、

IDOLiSH7は曲調を変化させられるマークを持っている。

TRIGGERはより曲に厚みを持たせ和音を作るためのマーク。

Re:valeは物語性のある曲を作るにはかかせない繰り返しマーク。(繰り返しマークがつけられるのは サビが多く、またRe:valeの『:』は本来『ː』であるため物語を長くするためのグループだとも考えられる)

ZOOLはRe:valeの記号にプラスするように理想のメロディを奏でるための技法のマークであったり。

アイドリッシュセブン って 物語を自分たちで紡ぐための方法を探し続けるようなお話なんじゃなかろうか、ということをわかりやすく提示しているのが17つのマークなような気がする。

また 一人では紡げない故に、《自分「たち」》で曲を作ることが必須であることを示しているように感じる。

 

話を戻すが この「曲」という物語を綴るための「音」を作るにあたって

ピタゴラス音律が重要になっている。

まず、音階を一番初めに作ったと言われているのがピタゴラスであるため 「音色を作り出す役割」としてはピタゴラ組に合っている。

 

f:id:haruchi1130:20180510205128j:image

簡単に作った画像(黒がドの弦、青がソの弦)だが、

ピタゴラス音律は弦の長さによって音色が異なることを前提に「ドの三分の二の音がソ」であることを見つけたピタゴラスが、「ソ」と「ド」の弦の関係性基準に、

間の音を詰め込んだので 少しの誤差が生じるんだ。

 

けれども、その誤差というのは 和音(いくつかの音を同時に鳴らす)にしてみないとわからないもので、ドレミファソラシ だけの音をただ1つずつ鳴らしていく場合は 綺麗な音が感じられる。

(説明がド下手クソなので 自分で調べていただいた方がおそらく理解できると思います)

 

ど簡単に言うと その誤差の影響により単音としてでしか あまり使われない。(バイオリンなどはピタゴラス音律を使って演奏できる)

それを前提にピタゴラス音律と大和と三月とナギの関係性を考えると、

「重音ができない」「重ならない」=「個性」示しているという考えもできるだろう。

 

 

またまた話をコロリと変えるが

ピタゴラス

という言葉は 真崎さんによると「不思議なカタカナ5文字を入れてください」と要望があって入れたらしい。

 

なんで5文字なんだろうか、とずっと思っていたんだが、アプリ内でこの曲の配信が5曲目(TRIGGER抜き)だったからなのかな、と思ってみたり。

なぜ「不思議」で「カタカナ」でなければならなかったのかは未だにわからぬが、

4曲目である「Fly away!」は日本語にすると「飛び去る」の4文字にもなるから あながちおかしな設定でもないのかなと。

カタカナなのはナギがいるからで 不思議なのは彼らの秘められた才能的や個性的な部分を含みたくての指定だったらな、なんて考えてみたりもする。

 

 

ピタゴラスファイターの歌詞は

歌う順番が必ず ナギ 三月 大和 になっていることについても

皆が知っている 当たり前のことではあるけれど

 

 彼らの家族関係において

弟のナギ兄の三月に甘えて

そのどちらの味方にもなることなく 意見のぶつかり合いを「個性」として 認めて

もっとやれと促したり一緒に悩んであげているのが一人っ子の大和

 

ただ、個性は褒め言葉さという歌詞もあるが

初期のあたりは特に

アイドルになりたかった三月」と

父親のようにはなりたくなかった大和」は自分の個性をあまり良く思ってはなかった。

 

けれども、二番の歌詞にあるように自分の個性を迷わず貫いているナギの影響で 自分の個性を才能だとして 武器にするようになってきていたり、自分以外の他2名が素の自分を認め背中を押してくれたのをきっかけに自分の持つ武器で戦うようになった。

 

この関係性こそ ピタゴラ組の三角関係で 凄く良い方向に循環されているように思う。

「異文化交流」と言わんばかりの「個性の塊」であり育った環境もまるで違う3人だけれど

認め合うことや 分かろうとし合うことで

「三位一体」になって行く。

 

三位一体とは 文字の通り 「3つの物が一つになること」なんだが、

三つ揃わねば意味をなさない、だとか、3人いることで神を示すなど、「3人=1つ」のものを示している。

 

上記にも記載したがナギくんは

「3人寄れば文殊の知恵」ではなく

三位一体 文殊の知恵」と言っているんだ。

 

これって意味は同じようなものなんだろうけれど「3人いれば 良い知恵が浮かぶだろ」ではなくて「3人いなければ 1つも知恵が浮かばない」というような、より強い束縛感を示しているように思える。

 

その点からもピタゴラ組」=「レオナルド」なんだろうということがわかるだろう。

 

1人でも欠けたら「レオナルド」のようにはなれないということ。

だからこそ「二三が六さ レオナルド」なんだろうね。

2.3.6のどの数字が欠けても 数式は完成しやしないから、一人欠けたら その時点で 「どんな難にも対応できる万能人」になれなくなる。

 

歌詞の最後にやたら「レオナルド」を表記させるのも同じだろう。

ピタゴラ組の行動や思想」と「レオナルド」を並べることで同じような逸材であることを強調しているように感じる。

 

 

東へ西へピタゴラスという歌詞があるが

これは単純に「忙しく走り回る」的な意味だと思うんだ。

「東から西へ」という言葉は基本的に短時間で移動しまくったり、バタバタ急いでいるようなそんな状態を表す時によく使われるけれど、

この後に続く歌詞が 

「戯けた笑顔でデリバリー」

「君の街までピタゴラス

「無茶ぶりもスパイスさ」

「明日はどっちだピタゴラス

「エンターテイメントデリバリー」

「シアワセを運んでく」

というように誰かのために奉仕することを決めて忙しく走り回るような言葉が重ねられている。

ピタゴラ組はやっぱり幸せを運ぶための郵便屋さん的な存在なんじゃないかな。

 

その後の歌詞にも注目してほしいんだけれど

「愉快な行進ピタゴラス

飛び乗れ運命はレインボー」という歌詞が続く。

 

「愉快な行進」はそのままの意味でピタゴラ組がワイワイと楽しんで、自分の意思で幸せを届けようとしている図を示しているように思え、

また「飛び乗れ運命はレインボー」というのはおそらくIDOLiSH7のことなのではなかろうか。

 

ここまで考えてみたけれどピタゴラス☆ファイターって

「大和、三月、ナギの3人の関係性」だけではなくて「IDOLiSH7の中でのピタゴラ組の役割」も描かれているように感じるなと。

 

主体ではなく、あくまで IDOLiSH7のその他のメンバーに運命は託していて

けれども、その運命が良い方向に進むように促してやるのは自分たちだ、というような解釈ができそうだ。

 

3部まで読んだ方はおそらくわかるだろう。

この「幸せを用意する役割」はストーリー内で 序盤では  「2×36」という数式で「=」の先にいた「ナギ」が役割を果たしていたんだよな。

そして、三部が終わった今現在  「×」で結ばれていた三月大和が「=」の向こう側のナギに「幸せを用意する」ことを約束している。

 

笑っちゃうくらい数式にぴったりなストーリー構成だけれど、ナギの問題が終了したとしたら また違う数式になるんじゃないのか?と思ってみたり。

 

もしあるなら「2×3×6」なんじゃないかと思うんだが、じゃあ「=」の向こう側はどうなるでしょう、となるんですけれども

2×3×6が「幸せを用意する人」であれば、「=」の向こう側は「幸せを用意される人」の席になる。

 

でだ。普通に掛け算すると36で完結なんだけれども、そうではなくて ちょいとIDOLiSH7らしく、 IDOLiSH7のメンバーちゃんたちの中でピタゴラ組以外足してみると「17」になるんだよな。

 

これが適応するのは「=」を数式として解釈せずに「同じ意味を持つ」として解釈する他成り立ちはしないんだが、ステキだな、と思いまして。

 

2×3×6ピタゴラ組)i71457=17)

 

三位一体でレオナルドのようになったピタゴラ組が、IDOLiSH7をハッピーエンドに導いてくれると信じております。

 

このブログではピタゴラ組が1人でも欠けるとIDOLiSH7の幸せはないという結論が出ました…!!

 

これ以上語ると いつものようにダラダラクドクド長くなりすぎて読者が引いてしまう気がするのでモブおばさんからの意見は以上にします。

 

こんなくだらぬ感想を読んでくれてありがとう!

ブログを書くテーマをくださった方もありがとうございます!

 

さらば!

 

 

 

アイドリッシュセブン から 学べること

IDOLiSH7のメンバーが1人残らず家庭に問題を抱え、それが 大きな壁になっているであるであろうということについて考えと、そこから学べることを 長々表記するだけのブログです。

 

以前書いた 欲求と似ている部分が多々ありますが、今回は 「家庭」を主に考えていこうと思う。

 

 

 


両親から正しい教育を受けられなかったからこそ、
壁に立ち塞がれ子供が悩む結果となったり、
乗り越えなければならない試練となったり。

 

良かれ悪かれIDOLiSH7のメンバーの中で、
親のせいで 子供がこうなった
というような 例があることはストーリーを読めば 理解ができるであろう。


機能不全家庭として、主に知られる有名なもの、一般的に考えられやすいものは
虐待である。

育児放棄や、暴力、性的虐待、暴言。

 


IDOLiSH7のメンバーの中だと、

父親により暴力を振るわれていた過去が明らかになっているのは四葉

 

この点から 高校生であるのにも関わらず、
社会的に受け入れられにくい思考の持ち主で
なぜ怒られるのか わからない、自分に悪気はないのに
なぜ 皆に合わせないといけないのか分からない、俺の目的と異なるのに
など、「人とずれている」ことが 生きづらさとなっていた事がわかる。

 

その生きづらさこそ、親が与えた子への影響であり、
よく聞かれるような言葉だと「アダルトチルドレン 」と呼ばれることもある。

 

環の場合、ストーリー中にて 問題を徐々に解決しつつあるため、大人になる前に 問題を乗り越えられたことが幸いである。

 

アダルトチルドレンとは、両親に与えられた影響により大人になって(社会に出て)生きづらさを感じる状態を指すため

IDOLiSH7のメンバーで それにあたる人物は

「二階堂大和」
「和泉三月」
「逢坂壮五」

の、お兄さんグループだ。

 

和泉三月については、一織とともに 説明する。
そのため、まずは 大和と壮五について
彼らの置かれていた家庭環境と それに対する影響を考えてみようと思う。

 


ー大和の場合ー
世間が見る「おしどり夫婦」の家庭の中に「自分はいない」。

自分は 父と その愛人の子として生まれてきてしまった人物。そんな思考があったり。

 

そして、何より不幸だったことは
父親がその事実を隠していたこと」である。

 

そのため、「世間から 自分は受け入れてもらえないのだろう」という思考から
生まれてきてしまったこと」に対する罪悪感があり、人に尽くす事や、誰かや 何かを通してでしか、自分を認めてもらえない(生きてる意味はない)と思っていたのではと考えられる。

 

しかしながら、愛されている実感はあったのだろう。


自分が 愛人との間に生まれていた子供だったと気づくまでは 大きな不満はなかったのがその証拠だ。
だからこそ、父親の隠し事に気づかなかった。
疑ってなかったから。

 

 

けれども、隠し事を見抜いた瞬間から
父親の今までの優しさがすべて

「自分を騙すためにしていたこと」

「自分の機嫌をとるためにしていた事」だと、疑い始めてしまった。

 

そこから、愛されることに関しての不信感を抱くとともに
父に対して裏切られたことへの ショックを紛らわせるために、父を悪者だと思い込ませ復讐することを計画する。


この点に関しては 大変な思いをする家族を捨てて家を出た「天」を悪者だと思いこむように自分を自分で洗脳し続け、精神を守っていた「七瀬陸」に似ているように思う。(陸については後で書く)

 

大和の場合は 幼き頃から「愛されていること」「大切にされていること」の実感がありながらも
大好きな父親の裏切りにより「愛されること」がトラウマのようになっていた。

 

だからこそ、裏切られる恐怖心から

「自分自身が愛されること」に対する努力をせず、自分ではない誰か(自分が気に入っている人)を認めてもらおうとしたり、誰かが褒めてれた自分の武器(大和の場合、俳優としての演技)を愛してもらえるようになりたかった。

 


愛されたい」と思っていることすら 肯定したくはないけれど、「自分自身を愛してほしい」と心のどこかで思っていたから、自分に嘘を重ねることが 精神の崩壊と向かって行った。

まだ父親のことがバレれば、IDOLiSH7が壊れるかもしれないという所属欲求も不安定になっていたために精神的にも限界だったのだろうと見受けられる。

 

「愛人との間に生まれた息子」
IDOLiSH7の二階堂大和」
「父を恨む自分」
「父が大好きで愛してほしい自分」

いつしか、どれが本当の自分なのか 分からなくなっていた。
全て本当の自分なのに、「自分に」嘘を重ねていたから。

 

そこで、Re:valeの2人が

【「愛されたい自分」を受け入れること】

【自分を責めないこと】を 父に代わって教え、行動してくれたため、
アダルトチルドレン であった大和は現在
「愛されること」に対するトラウマを乗り越えつつあり、「自分に素直」になり始めている。

 

 

 

ー逢坂壮五の場合ー
御曹司として マニュアル通り育てられた。
父親の指示に従わないと 怒られる。
父親に期待されていた。

そんな中で
自分の好きなことをする叔父」の姿に惹かれていく。

 

そして、叔父が亡くなった喪失感のある中で
「叔父を責める声」に耐えられず
自分は認めてもらえない」と家を出た。

 

逢坂壮五の場合は とても分かりやすい「毒親」家庭である。

 

「期待しすぎ」も 一種の毒親の特徴だが、
それ以上に
言動よる支配が 壮五を苦しめていた。

 

自分に従わないと 機嫌を悪くしたり、厳しい状況になるように仕向けたり。

 

その点から「父の教え通りの自分でなければならない」と思うようになり、
「父親に捨てられないようにするには」と、
自然と「父親の支配下」に足を運んでしまう。

 

そして、「マニュアル通り育てられた」ことや
「親の言う通りに行動したこと」によって
自分の意思で動くこと」ができなくなり
自信のない、自己受容のない子になってしまった。

 

自分のやりたいことがとんでもなく恥ずかしいことだと思ってしまったり、
自分の言いたいこと間違っていることだと思って言えなかったり。

 

祖父に出会ったことで「好きなことを認められる嬉しさ」や「好きなことを貫くことは楽しいこと、悪いことではない。」と実感でき

 少しだけ自分の考えを肯定できるようになり
初めて自分の意思で「家を出る」ことができた。


その点については大きな一歩である。

けれども、良い影響の反面、乗り越えなければならない課題も同時に見つかるのだ。

 

認められたことのない子や否定されて育った子は、自分の行動に自信が持てず「認められる」と 思いながらの行動ができない。

 

そして、その感情が前提にあるため、

否定されるのが怖くて仕方がなく「何もできない」「黙って指示に従う」ということが癖付いてしまうのだ。

 

 

そんな時に環に出会い、
「周囲の目を気にしない環」に対して羨ましいと思いつつ、
「環が認められたい」という欲求に直面する。

 

環は 一見 空気が読めない子供だけれど、
時間を共有すればするほど「真っ直ぐで 優しい いい子」という事実に 壮五は気付き、
「この良い子」の良さを「認めて欲しい
「本当はいい子なんだ。」と「良さを認めて欲しい」「努力を見てあげてほしい」と思うようになる。


だからこそ 「よく見られたいから」世間知らずの環に「周りを見て行動すること」を教え込んでいた。

 

その後 環は 壮五の心の問題にも気付き
「良い子になれと言う」理由は「壮五が自分のことを好いているから」と自ら気付く。


壮五もそれに従って 徐々に抱えている問題について、理解し始め、「認めてもらうことの嬉しさ」「共感できる嬉しさ」に気付き父親との和解を求めていた。

 

父親との和解はおそらく完全には成功はしていないだろう。


父親は和解ではなく、自分が壮五にしたことに対しての謝罪の意を込めて おそらく環を解放している。

 

正直、 現実的に考え 好きなことを一度言えるようになったくらいでは壮五はまだアダルトチルドレン の状態から抜け出せてはいない。
今後 父との和解もしっかりと解決され
否定されるトラウマ」を 何年もかけて解決する必要があるだろう。

 

 

 


ー和泉家【三月 一織】ー
和泉家には兄の「三月」と弟の「一織」がいる。

 

一見すると和泉家は幸せ満載で微笑ましい家庭だが、
一織も三月も、他のメンバーに比べ「否定されるのが怖い」「プライドが高い」という特徴が初期の頃からとても強く記されていた

 

これは、両親が「君たちはいい子」として育て上げた、という単純な問題ではない。

三月も一織も 「否定されるのが嫌い」「嫌われるのが嫌い」な上、「自分に自信がない」。

 

 

自分に自信がないことは 自己受容のなさを指すことができるが、
おそらく、両親の言動により遠回しに兄弟は傷つき、自信を失って行ったのであろう。

 

アダルトチルドレン の特徴として、
「隠さなくてもいいことを隠す」
ということがよく見られるが、
一織の場合、「可愛いものが好き」という隠す必要が全くないものを隠す癖もある。


このまま年齢を重ねれば 間違いなくアダルトチルドレン になるであろう。

 

「可愛いものが好き」という自分に嘘をつくこと
「今の自分は周りに受け入れられない」
「本来の自分は嫌われる、求めてもらえない」
という、自信のなさからの自己防衛であり
自分は愛してもらえない」と思っていることに直に繋がる。

 

なんといっても、
三月には「よくできる弟」がいて
一織には「皆に慕われる兄」がいた。

 

真逆の二人だからこそ、
成長途中に、いい影響もあれば悪い影響もきたす。

 

例えばの話、

両親が、「三月は友達が多くて楽しそうね」と言えば、一織が「友達が少ない自分が否定された」と思うようになり、


「一織は 背も高くて勉強も運動もできていいね」と言われれば、「背が低く 勉強も運動も平均的だった兄」の三月は「自分が否定されている」と思うようになる。

 

他にも「三月は身体が小さくて容姿が可愛いから 可愛いものが似合うわね」と言われれば

身体が大きく 可愛いというより美しい顔立ちの一織」は「可愛いものは似合わない」と否定されているようにも 捉えられる可能性がある。

 

 

そして、自分が褒められた立場になった時に
両親に見捨てられないように また褒められることをしなければ」と自然と思うようになっていく。

「褒められた喜び」という単純な感情の裏に
少しずつ芽生えていく「褒められなかった時の恐怖心」

 

それによって生まれる 「否定されることへの恐怖」や「本当の自分を見られたくない」という「プライド」

 

【人と比べること】が【心理的虐待】に当たることはあまり知られてはいないが

知られていないからこそ和泉兄弟という「一つの兄弟例」によって「何気ない一言で苦しんでいるものがいる」ことをマネージャーに訴えかけているのではとも捉えることができるだろう。

 

両親がただただ、彼らを愛し「彼らに自信をつけさせたかったから」「褒めていただけ」その事実が本当だとしても
彼らにとっては 遠回しに自信を失わせるものであり、
「俺より弟の方が両親に愛されてる。」
「私より兄の方が両親に愛されています。」
自然と思わせて行く結果ともなる。

 

だからこそ 十分に愛情が注がれていると 実感できてない人物になり、自己受容のなさから 他人の目ばかりを気にし周りに振り回されてしまう子になるのだ。

 

三月の場合、
「兄らしくしていたい」「弟が自分を頼ってくれる」という点から
一織よりは 自己受容があるように思える。

 

だからこそ、「自分にしかできないことをする」という自己実現の欲求を持つまでに成長できた事実がある。

 

 

対して一織は「頼ってくれなかった兄」「大好きな兄に否定された」という事実があるため
いつになっても 自己受容が持てず、心が安定せず、
「自分を必要としてくれる人物」に対して 依存傾向にある。

 

依存傾向があることは家庭崩壊してる家族にありがちだ。

 

実際問題として、
「虐待は家庭での子供に悪影響を及ぼす問題、
他に思いつく家庭での問題は思いつかない」
そんな、ことを思う人は多いだろう。

 

他にも精神疾患を持つ人に対して

「虐待があるわけでもなんでもないだろ?

家族も優しいのに、なんでなったんだ?

お前が弱いだけなんじゃないのか?」


と疑問をもつ人もいる。

 

けれども、直接的な暴力や暴言などでなくとも
家族の何気ない一言や 行動で、少しずつ心に矢を放たれてしまった子もいるのが事実であり、それが皆の知っている虐待ではなくとも

知らず知らずのうちに受けている【虐待】という類のものになることもある。


一織くんと三月くんもそれに当たると見当がつく。

 

このまま 誰も一織の傷ついた心に気づけなければ、必ずと言っていいほど精神疾患を追うことになるが、
おそらく その伏線が九条鷹匡なのだろうということがよくわかるであろう。

 

 

ー以下は補足ー

三月の真の強さは上記に書いたように「兄である」ことが「弟から必要とされる」に繋がるため承認欲求が満たされているのではと思っていたが、

おそらく 彼らの【年齢差】も目をつけなければならないポイントなのだろう。

 

三月くんはそもそも 「弟に比べられることなく生きていた数年間」が存在し、

両親の愛情も独り占めできていた時代がある。

その数年間は子供が様々なことを吸収して急成長をする「0歳〜3歳」に含まれており、

[両親を独り占めし深い愛情を注がれていた三月くん(3歳)]の元に 一織が授かられた思われる。

だからこそ、三月くんの方が「なんとかなるかもしれない!」「きっと大丈夫だろう!」といった自己受容が備わっているのではなかろうか。

それに対し 一織くんは生まれた時から「兄」という比べられる対象がおり

「一織はなんでもできる」「完璧である」として育てられてしまったため

「完璧である自分」しか周りに必要とされてないと感じ、「本当の完璧ではない自分」を押し殺し無理やり周りの人間が望む「完璧な自分」を作り出すことで 常に「周りの人が望むこと」を考え生きてきたため

「客観的思考」という 周りの人がどう見ているか、においての考察力は高く吸収できていても

「本来の自分の意思を信じる力」というような自己受容を持つことができないのではなかろうか。

ー補足終了ー

 

 

 


ー七瀬陸の場合ー

幼い頃から「これはダメ」とあらゆることを否定されて来たため、「自分のやりたいこと」を素直に伝えることが苦手だ。

 

また、否定され続けていたため、もちろん自己受容がなく、自分に自信がない時期が長らく続いていた。

 

今現在 それは治ったようにも見られるが、
根はそのままだ。


心の底から自信を持ってるわけではない」からこそ「認めてくれる人」に依存している。

だからこそ、一織も言っていたが「褒められれば浮かれ」「けなされると落ち込む」という流されやすい人間なのである。

 

そもそも、「必要とされたい」という気持ちが 爆発したのは、「天に捨てられた」と思った時からであるため、「捨てられたくない」という思いが強いのだ。

 

今現在一織との「共依存」が問題となっているが共依存はただ悪い意味だけをもたらす状態ではない。

依存できる相手がいることは 心の安定を図れることにつながる。

しかしながら 周りに目を向けられなくなることが一番の問題であり
何が正しいか何が悪いのかも 判断が曖昧になってくる。

そもそも「何かに対し強い依存傾向にある人」は 家族からの愛情不足や誰かに貶された過去があり自分に肯定的になれないなど、補うべき何かを持っているため「心の安定を図れる」という一点のデメリットだけを持つことはできないのである。

簡単に言えば「相手はずっと自分を必要としてくれてるだろう」と 本人たちは思えていないということだ。

もし思えていたのならばそれは本当の「心の安定」になるだろうが、依存傾向の強い人は自分に自信がないために共依存の相手に対しても不安を抱えてしまい、「精神の安定」と「不安」の矛盾に良くも悪くも心が揺れ動く。


また、互いに必要とし合うことは欲求が満たされる快感と安心感を感じられる利点にもなるが

相手がいなくなった時の失望感は計り知れず、
「一人で生きていくこと」ができなくなってしまうことも、デメリットであるだろう。

 

 

ー六弥ナギの場合ー

このブログを書いている今現在ではナギはまだ謎多き人物だが
わかってる点として、家族の関係が壊れていることが挙げられる。

 

母は母国の自分の仲間に拒否されており、
兄とも仲が悪い。


ナギ自身、自分の精神的居場所はおそらく、母国にあるとは考えていないため、
この点から、日本に来るまでの期間、
気の休まらない人生だったのだろうと見当がつく。

 

ナギの言葉の使い方から、ナギは母のことが好きだが、過去のナギの身近な人はナギの母を差別的な扱いをしている。

 

父親がなかなか話に出てこないが、
兄とも仲が悪いという点から、
「ナギは 母親」
「ナギの兄は父親」に情を置いているのではとも考えられる。

 

この場合、自分の好きな母親が 母国で否定されていれば 精神的に大きな負荷になり、
また、兄から常に冷ややかな目を向けられていたナギの精神の負担は計り知れない。

 

春樹がナギに出会ったことで ナギを肯定してくれる人が現れた。

当の本人は春樹に出会ったことで「寂しいと気づいた」と言っているため、
「愛されていた」と感じたことがなかった少年だったのではなかろうか。


両親の仲が 悪いのであれば それこそ よくない影響ばかりなのは事実である。

 

具体的な例を挙げると
よく、子供ために離婚すべきか 、離婚しないべきか。
と悩む親がいるが、
そこで直ぐに【「子供のために 離婚しない」方が良い】を選ぶ人もいる。

 

正直なところ それは「仲が良い」に限る。

 

「離婚しない」を選ぶのであれば「両親が仲良くする」努力をし、「子供の負担を軽減」するからこそ意味がある。

 

「離婚しない」を選んでおいて「喧嘩ばかり」「親がいつもイライラしている」となれば、
子供は「親を怒らせないように」と 無理をし続けたり、「自分の感情を押し殺す」ことや「親のために自分がいい子でいないと」と思うようになってしまうのだ。

 

「自分のために」生きることから思考をずらし「親のご機嫌取りのため」に必死に生き始める。

とてもとても賢い子である。

 

けれども、そんな子たちは

いずれ アダルトチルドレン として 自己受容がなく 生きづらい運命をたどらなければならなくなる場合もあるのだ。


中には ピリピリしている両親のせいで
「怒鳴り声」や「大きな物音」などに敏感になり、
それがトラウマとなる子も少なくはない。

 

このように、両親の不仲悪影響を及ぼす。


また、両親でなくとも兄弟間の不仲も「自分の家なのに気が休まらない」「頼れる場がない」として、悪影響となっていく。

 

この点から ナギは ただ綺麗な人間ではないこともわかる。


そして、これからのストーリーで、彼の 何本にも枝分かれしている性格が しっかり わかってくるであろう。

 

 

 

 

メンバーそれぞれの性格を作った過去はもう変えられない。

 

それは、自分たちにも言えることである。

 

そして、そんな子供を生み出した 両親や 兄弟、親戚、友達など、

彼らが今更反省しても、過去は戻ってこない。

 

逆に、負荷を乗せられた人物たちが、

彼らを恨んでも、何も変わらずストレスが増え、時間がただただ経過するだけだ。

 


アイドリッシュセブン という物語は
「子育てをしている親」

「将来子育てをする人々」
に対して、「子供に負担を与えすぎる育て方」をしないようにするための 注意喚起であり
それと同時に「育て方に正解なんてない」と知らせるようなモノでもあると思っている。

 

 

そして、「問題のある家庭で育って来た子」や「気づかないうちに アダルトチルドレン になっている子」に対しての

『変われるチャンスはいくらでもある』

というメッセージでもあるのではないだろうか。


家族の関係の修復により 変われる子もいるが、
家族との修復が困難な子もいる。
家族以外の誰かから傷つけられ、トラウマを持つ人もいるであろう。

 

どの場合にせよアイドリッシュセブン を見れば
家族ではない第三者からの愛情」によって「変われる」という事実も上手く表記されている。

 

そしてこのブログ内容を見て間違った解釈をして欲しくないのだが、
このブログに記載している「間違った教育や育児」というのは

「子供に負荷を与えるもの」

「ストレスとなる可能性のあること」を主に考え記載している。

 

けれどもここに書かれたブログにおいて

 

「間違っている」=「ダメ人間」ではない。
「間違っている」=「不幸な人生」でもない

 

ことをわかっていただきたい。

これらのことこそ、アイドリッシュセブンを見て実感できることだろう。


成長過程の中で与えられた いわゆる重圧や重荷というものは 必ず 自分の武器になるのだ。

 

メンバーの現在を考えてみればすぐにわかる。

 


一織ならば、

高い分析力により 皆を「成功」に導くことができたり、相手の気持ちにいち早く気付くことができる。


大和の場合は

「嘘だらけの家庭」があったからこそ、メンバー全員をよく観察し、仲間に「安心して帰れる寮(グループ)」を与えている。


三月

一織のように客観的思考が得意でありながらも、弟がいるため主観的思考も持ち合わせており、尚且つコンプレックスも多いため、人のために動くことができたり、「戦いたくても戦えない仲間」に寄り添うこともできる。


の場合は

母や妹を庇い虐待されていた過去があるため、人の感情の変化に敏感になれ、強い意志で仲間を守ることができる。
また壮五が虐待と同じ類の家庭で育ったことも 環自身の過去の経験から、気付くことができ 寄り添うことができた。


壮五

否定されるトラウマから、肯定される喜びを覚えているため、誰かの話を聞いたり 相談に乗ることも得意であり、客観的思考も得意なため 人の強みを引き出し自信をつけさせるのも得意である。


ナギの場合は

友達がいない過去や悪意を浴びせられた経験があるため、恥ずかしがることなく愛を皆に与えることができ、人の感情の変化にも敏感である。


の場合は

「天のようになれなかった自分」や「生きたいように生きられない過去」があったために、

何事に対しても感謝できたり、自分の人生を生きることに戸惑いがなかったり、人の弱みを見ても同情したり悪用したりすることのない子である。

 

 

実際、こんなに上手くいくものか、と目をそらす人もいるだろう、
奇跡のような出会いで起こった物語がアイドリッシュセブン だ。

 

けれども アイドリッシュセブンを見て価値観を広げることはいくらでも可能だ。

 

単純にストーリーを楽しむのはもちろんのこと、
埋まらない欲求に悩む人がいるのであれば
価値観を広くもち、自分を見つめ直し、これからの人生にヒントを得るために、
アイドリッシュセブン をプレイするのも

1つの たのしみ方ではなかろうか。

 

 

 

        ーーーーーーーーーーーーーーーー

私は物語の作者(都志見先生)ではないので、もちろん 「学べること」といえど、

深読み大好き星人の私的な価値観によるものです。

 

毎度言いますが

自分の意見も頭に入れておきつつ、

「こういう考え方をする人もいるんだ」程度に 解釈してくださいね!!

 

では、また今度!

次のブログ更新はいつになるか分かりませんが、こんなつまらん記事を読んでくださりありがとうございます。

 

 

九条鷹匡とゼロ

 

ゼロは一体誰なのか、

 

ずっとこのブログを書こうとしていたんだが

決定的証拠がない上に、

一人に特定できないため、書くのをためらっていた。

 

が、次更新までに書いておきたかったので

可能性のある人物のうち1人に焦点を置き考察を綴ってみようと思う。

 

ただ、最初に言っておく。

今回の考察の大半は 私の「妄想」から生まれた発想なので あてにするのは やめた方が良い。
オススメはしない。

メモ感覚で書いているので、

こういう考えもあるのか〜的な感じで受け取ってもらえるとありがたい。

目から入った情報を耳から抜いちゃうような気持ちでリラーックスして読む読み物です。

真剣に読まないで。

 

 

 

 

さて、今回目を向けるのは

「九条鷹匡のゼロ説」だ。

 

 

正直、音晴の方がゼロである伏線が多いのでは感じていたのだが、三部になってから

九条鷹匡が七瀬陸やゼロと似ていると思うようにもなった。

 

まず、「ゼロ」について振り返ってみる。

 

・優しい(三月やスタッフ情報)

・訴求力の持ち主

・七瀬陸に似ている

・永遠を求めなかった

・容姿について誰も語っていない

・友人でさえ 本名や住んでいる場所を知らない

 

 

対して「九条鷹匡」の公開されている情報

 

・欲求のために人々をバラバラにする

・分析力が高い

・和泉一織に似ている

・永遠や完璧を求める

・容姿はすでに公開されている

・九条鷹匡の過去の人格を知っている人がいる

 

 

 

 まさに、ゼロと九条は別人だ。

欲望も思考も全てが違う。

 

 

が、一度だけ2部の時に 九条がゼロになりきっていた時があった。

 

 

その時の天は

「無意識にゼロを求めている」と考えていて

三月は あれはゼロではない、と考えていた。

 

三月は九条の演じるゼロに対して、

気持ちが伝わって来ないだとか感情が揺さぶられない、というような内面的なことに違和感を抱いていた。

 

また、七瀬陸は過去に ゼロはテレビで見たことがあると言っていたため、

九条天もテレビを通して見たことがある可能性が高い。

 

また、ゼロは世界中の人気者だったため

容姿を知らない人なんていないだろう。

三月の話によれば、 たまたま店に来たゼロを見破った挙句、店の周囲にいた人たちまで ゼロに気づいたと言っていた。

 

この点から九条鷹匡がゼロであれば

すでに気がついている人が 何人もいるはずなのだ。それに至っては音晴も変わらない。

 

 

だが、以前にTwitterのフォロワーさんから ご意見をもらった。

三月がゼロに気づいたのは

「ゼロとわかる格好をしていたのでは」

もしくは

「ゼロであることを明かしてくれたのでは」ということ。

 

もし後者であるのならば、

ゼロはステージ上でのみ衣装をまとい素の姿を見せず、プライベートでは仮装をしておらず「一般人に紛れ込んでいた」ことになる。

となると ゼロ=九条である可能性は低い、

もし、仮装なしの状態で「ゼロ=九条」だとわかる姿だったのなら 「九条鷹匡はゼロなのでは」と、三月が気づいているはずだ。

 

そのため、今回は前者の場合で考えてみる。

 

有名なアイドルが 街中を歩くこと自体

あることなのかと、疑問を持つが

なにせ、今までのストーリの中でゼロの容姿について 誰も語ってないのだ。

 

もしこれが伏線であるのならば

「容姿を語らない理由」が必ず 秘められているはずである。

 

逆に 「容姿を語られて困るのはなにか?」と考えてみると、

ずばり 「ゼロが誰なのか正体がバレる」ヒントが隠れているからであろう。

 

となると、やはり

ゼロは 常に仮装をしていて 本当の姿を隠していた、ということが一番しっくりくる。

 

 

九条鷹匡が演じるゼロについて

三月が「ゼロではない」と言った件については、「完全なるゼロ」には、なれていなかったからでは、と個人的には思っている。

 

ゼロになりきっていた 2部での九条は、

九条鷹匡でもゼロでもなく

「ゼロを求める九条」として「ゼロ」を演じていたのでは、と。

 

 

 

そもそも九条鷹匡には 多重人格の症状が見られる。

 

今確認できているのは

ゼロを求める九条」と

マネージャーの九条鷹匡」だ。

 

 

人格が2つある、これは 専門的に考えた時に 精神を守るための自己防衛反応であることが伺える。

 

多重人格者は基本的に

ストレスに耐えられなくなったときに、

他の人物に移り変わることでその場を乗り切ったりストレスを分散して 精神を保つのだ。

ストレスが多くなればなるほど人格の数も増えていく。

 

また、九条鷹匡が ゼロであった場合、

 

「主人格」がきっと

「マネージャーである九条鷹匡」

 

そして「副人格」が

「アイドルであるゼロ」であろう。

 

 

過去の九条の性格として

 「純粋で、素朴で、たまに抜けたところもあるけれど、夢にあふれた少年だったって…。」

という情報が出ている。

悪い印象ではないのだ。

この点から 真面目な良い子ちゃんであることもわかる。

 

わざわざ和泉一織に似ているように描かれている点からは、

否定されるのがとてつもなく嫌いで

自分の好きなものを認められることが好きだった可能性もある。

 

この「否定されるのが嫌い」は

「嫌い」というより「怖い」に近い感情である。

 

九条や一織に共通するであろう この感情は、

客観的思考を持つものなら

当たり前の思考回路である。

だが、その客観的思考能力が高すぎると、

常に他人の評価を気にし、失敗しないように危なくない道を歩んできたため、

失敗したり、否定することに、ありえないほどの恐怖心を抱き、

不安障害などを発症する場合も多い。

失敗したり否定される くらいなら死んだほうがマシだと考えるようにもなるくらいだ。

そのため、「否定されないように」と

人格を2つ作り上げて

「完璧な九条鷹匡」になろうとしたのではという考察もできるだろう。

期待が大きくなればなるほど

失敗してはならない、というストレスにも値する。

「和泉一織」にとっては「七瀬陸」という

自分の代わりに夢を叶えてくれる人が現れたからよかった。

依存性が高いという意味では良くも悪くもではあるが彼らは2人で互いに 「ないモノ」を補い合って完璧に近づけるようなそんなイメージである。

もし、九条に「七瀬陸」のような存在がいなかったとすれば、大きすぎる周りの期待から「完璧でないといけない」と自分を追い込んでしまい、自分を守るための自己防衛反応として「ゼロ」を作り上げた可能性があるということだ。

 

 

 

天が 昔の九条鷹匡の話を聞いたのは

海外にいる時だ。

それも「九条鷹匡の過去」として 教えてもらっていた。

その点からし

「九条の中に 当時は一人の人格しかなかった」という可能性も浮かび上がるわけで、

なんらかのきっかけがあって 2つの人格に別れたことになる。

 

また、それと同じように

「ゼロ」と「マネージャーである九条鷹匡」の2つの人格があったとしても

過剰なストレスにより 「ゼロ」でいる人格が失われた可能性もあるのだ。

 

 

 

また、もう1つの可能性として

「ゼロ」と「過去の純粋で素朴な九条鷹匡」

の2つの人格が存在していた場合、

 

周りからの過剰な期待により「ゼロ」である人格が心の何処かに追いやられ、

「ゼロがいなくなった」現実に 「過去の純粋で素朴な九条鷹匡」という人格も 心の奥底に追いやられ、

その結果  人格が3つとなり、

3つ目の人格が「ゼロを求める九条鷹匡」であることも考えられる。

 

過去の純粋な九条と、今の欲望まみれの九条は全くの別人であり、

当の本人は 過去の自分を覚えてない可能性もあるのだ。

 

 

また、「覚えてない」という点から

単なる解離性障害というよりかは

解離性同一性障害の可能性もあるため、そう簡単に治るものでもないのは明らかだろう。

 

そして、「ゼロ」と「九条鷹匡」が同じ人ならば、それを発症した辛い過去があることになる。

しかし 九条鷹匡は 「ゼロ」のことしか「辛い過去」として捉えていない。

 

だから、ゼロがいなくなる以前の

辛い過去なんて なかったんじゃないか?

同一人物じゃないんじゃないの?

 

と思うかもしれないが、

解離性同一性障害だった場合、

記憶障害を合併させてる場合が多く(解離性健忘)

解離性同一性障害を発症した要因のすべてを、頭の中から消していたりする場合がある(記憶喪失みたいなもの)

 

そのため、

「ゼロの失踪」以前に辛い過去が語られてない→解離性同一性障害 ではない。

の証拠にはならないのだ。

 

逆に、解離性同一性障害の場合は記憶障害を持っている人が多いため、

「ゼロがいなくなる辛い過去」を覚えていること自体、

発症したのは「ゼロがいなくなるより前」かもしれないという可能性が高まる証拠である。

(高まるとはいえパーセンテージ的な話なので、九条が少数派である場合だってもちろんある)

 

 

 

ただ、様々な可能性はあれど

確定的なことは少なく謎めきすぎているがゆえに、個人的には、九条鷹匡が ゼロになるというのは

かなりのこじつけで、難しい話なのでは、とずっと思っていた。

 

 

簡単なので都志見先生にしてはらしくなく逆に不気味ではあるが、音晴がゼロだった場合の方が伏線の筋が通るのではと。

例えばだが、

「結の命が尽きそうだったから、もしくは尽きたから ゼロをやめた」

「事務所に届いたゼロからのメッセージは 音晴がゼロとして置いた」(百の声が解決した後)

「ゼロのDVDを見ていた紡をみて、嬉しそうにしていたのは(感想を聞こうとしていたのは)自分が娘に褒められているようで嬉しかったのでは」

「長年の計画を得てIDOLiSH7を作ったのは 自分がファンを悲しませてしまった過去があるため、悲しませたファンを救うためのプロジェクトくとであり、自分ができなかったことを我が子に託したのでは。」

など、安易に ゼロである音晴が想像できるのだ。

 

 

だが、九条鷹匡がゼロを演じた時、

皆はゼロの再来だと、「ゼロ」であることを信じていた。

 

求めていたとはいえ、完璧に歌うなんてあり得るのか?

そんな疑問とともに、もう1つ 重大な疑問が浮かび上がった。

 

いや、疑問というよりかは 「確信」である。

 

「ゼロは九条なのでは」

という考えが 一番リアルに感じられる理由は、

 

 

 

強い訴求力だ。

 

 

 

「ゼロ」「七瀬陸」

この二人が持つ 訴求力は真似しようとして真似できるものではないことは 皆もよくわかっているであろう。

 

真似できるものであるなら とっくに皆がやっている。

 

分析が得意な和泉一織でさえ、真似ができない、真似ができていれば

「自分の大切な七瀬陸を認めてもらう」のではなく、自ら愛されることで承認欲求を得る道を選べていただろう。

 

 

そんな中、「ゼロ」と「七瀬陸」以外に

強い訴求力を持っている人物が いる事に気づいているだろうか?

 

その人物が九条鷹匡である。

 

 

 

まず、九条鷹匡が狙っていた人物についてまとめよう。

 

九条天

四葉

亥清悠

 

折笠千斗

逢坂聡

 

四葉理や亥清悠の二人は まだ 性質がよくわかっていないが

 

その他の3人は 確実に自己実現の欲求を持っていた人たちである。(欲求についてはこちらアイドルの欲求について - i7 blog

そのため、四葉理や亥清悠も 同じ欲求を持っていた可能性が高い。

 

 

また、九条鷹匡に誘惑された時の様子について

わかっている人物を まとめてみると、こちらも共通点がある。

 

ー九条天ー

自分の大切な片割れや家族が危機に陥った時。

借金返済により 養子になる

 

四葉理ー

やっとできた 大切な家族が苦しんでいた時。

借金返済により 養子になる

 

ー折笠千斗ー

親友である万理が顔に傷を負った時。

手術代を肩代わりしてあげると言われ、ついてこうとした。

万理が姿を消すことで  千は「手術を受けさせる」という目的が達成できなくなりついていかなかった。

 

 

この点から

 【大切な人が危機に晒された時】

【大切な人を守りたかった時

がキーワードになっていることがわかる。

 

そして、結果的に「ついて行った天と理」と「ついて行かなかった千」の2つに分かれたわけだ。

 

 

それをまとめてみるとこんな感じ。

 

 

ー九条について行った 天と理ー


【九条に恩返しがしたい】(プラス思考)


大切なものを守れて少なからず安心感や幸福感があった。
また、九条の夢を叶えてやりたいと思うことで、自分が幸せにしてあげるための対象が なくならずにすんだ。(自己実現の欲求を持続させることができた)

 

 


ー九条について行かなかった 千ー


【絶望し落ち込んでいた】(マイナス思考)


親友がいなくなり 「一緒に、死ぬまで歌っていよう」という自己実現の欲求が満たされなくなった。(自己実現の欲求を維持できなくなった)


また、百が万理の代わりをしてくれるようになったが、その間も 万理に再会するまでは「自分だけ成功した後ろめたさ」という複雑な気持ちに悩んでいた。

 

 

この2つの違いから考えて

九条について行った人の方が精神が安定しているのがわかるだろう。

 

天や理は大切なものを守ることができたから

「九条さんに恩返しがしたい」と思うようになっていたのだ。

 

まるで、九条のやり方は

恩を受けたら抜けられないという星影のやり方に似ている。

 

九条さんに恩をもらったことを語った後は

天も理も【期待に応えたい】と言うのだ。

 

 

ただ、恩があるから【期待に応えたい】とはいえ、あの鈍感な環や陸ですら、

「やり方がおかしい」

「人をバラバラにする」

と、批判をしているのにも関わらず

天や理は、毎回 九条鷹匡を庇う。

 

 

九条さんは可哀想な人だからと。

 

 

一織が以前、訴求力の説明をした時に

「真の訴求力」は愛らしさより痛ましさ

と言っていたことを覚えているだろうか。

 

九条鷹匡と 天と理の関係をみると まさにその通りなのである。

 

天や理の九条への意思をみると

まるで洗脳されているような、

薬漬けにでもされてるようなそんなイメージなのだ。

まるで一織が七瀬陸にすべて捧げようとしているように。

 

 

TRIGGER解散を述べられた時、天は九条鷹匡に抵抗していた。

この事実があるため、決して 九条鷹匡が自分の恩人だからと言って自分の意思を伝えられないというわけではないのだ。

だが、天は その後に九条の嘆きを聞いてしまった。

 

そして九条の嘆きを聞いた後の天の心情は 明らかに様子がおかしい。(彼らの感情の起伏に目を向けて、実際にストーリーを読み直してみることをお勧めする。)

 

あんなにも TRIGGER解散や、
龍や楽の価値についての九条の意見を
否定していたのにも関わらず、

「TRIGGERを続けることは 九条さんのため」

となるように、意見を九条に述べるのだ。

 

本当にこのシーンは気持ちが悪い。

 

この時の九条鷹匡は絶対的に逆らえない権力者のような そんなイメージである。

自分のことをうまく信仰させている。

 

まるで、一織でもコントロールできない七瀬陸の訴求力にしか見えなくて、恐ろしくなった。

 

「人の心を鷲掴みにして、引きずりこんで、かき集めるブラックホール。」

 

まさにこれだと。

 

訴求力はやろうとしてできるものでも

欲しいと思って植え付けれるものでもない

そのため、九条鷹匡も無意識にやっているという可能性が高い。

 

そうなってくると ズバリ 九条鷹匡がゼロである説がうまく通るのだ。

 

 

その証拠に九条さんの話をしたり、九条さんと話をするシーンで 

「2パターン」の意思が共通して存在しているのにお気付きだろうか?

 

 

まず1つ目のパターンは

九条鷹匡のことを自分を助けてくれた恩人や、

マネージャーとして 見ている時である。

その時の二人は

九条さんに恩返しがしたい】

【九条さんの期待に応えたい】

そんな意思を持っている。

 

 

しかし、もう1つのパターンとして

天と理が 九条さんは可哀想な人だから

と悲しそうに語る場面や

天もいなくなくなるのか?と九条に責められた場面など、

九条は不幸な人間であることがあからさまに表現されている描写では

「恩返ししたい」「期待に応えたい」とは全く別の言葉を二人は発している。

 

【あなたの夢を必ず叶えます】

 

【あの人の夢を叶えてあげたい…】

 

そう発言しているのだ。

 

 

「言葉遣いの違いじゃないのか?」と思う人もいるだろうが、決定的に違うんだ。

可哀想な人だからという認識があるときは

「恩返し」や「期待に応える」という言葉だけではなく

必ず「夢を叶えたい」というキーワードを入れて話している。

  「恩返し」と「夢を叶える」の二種類のキーワードを使い分けている。

 

その使い分けこそ、伏線だとすれば

コントロールできない九条の訴求力に、

天と理がまんまとハマっていることが安易に想像できる。

 

 

夢を叶えたい」という欲望は

一織が訴求力の説明をしてい時に発していた

七瀬陸の願いを叶えなければ。

彼の幸せのために、何かしなければ

という言葉に直結する。

 

逆に考えると「恩返しがしたい」だとか「期待に応えたい」というのは

「恩」をもらった「お返し」であって、

「夢を叶えてあげたい」というような「無償のプレゼント」や「一方的な奉仕精神」ではない。

 

また「期待に応える」に至っては、

九条鷹匡の前で発する場合、九条鷹匡を落ち着かせていたり、宥めていたり、という場面が多いため、その場をしのぐための場合も少なからず存在している。

 

 

その点を踏まえて ゼロ=九条説が通る場合 

「ゼロという人格」で生きていた頃の九条が

今現在じわじわとまた 「マネージャーである九条鷹匡」の人格を乗っ取ろうとしていて、

抑えきれなくなった時に訴求力が無意識に出てしまう。

 

また、2人が「恩返し」をしたいと語るときは

訴求力の影響を受けてないため、

「マネージャー」や「養父」としての九条鷹匡が実在していることは事実だ。

 

「マネージャー」や「養父」である九条鷹匡に2人は訴求力を感じてなくて

「ゼロを求める、可哀想な九条鷹匡」に対しては 訴求力を感じている。

 

 

 

それを踏まえて個人的に考えられるのは

「訴求力を持つゼロ」という人格は今「ゼロを求める九条」に変換されて 、

九条の中で実在し続けているのではないかなぁ、と。

 

 

解離性同一性障害だった場合、

「ゼロの人格」は消滅したように見えたが そうではなく、

「マネージャーである九条鷹匡」が普通に生活している間も

裏でじわじわ成長していた可能性がある。

 

「マネージャーである九条鷹匡」は自分の中のもう1つの人格に気づいていなくても

もう1つの人格は単独で 思考を巡らせて 成長していくのだ。

九条がゼロだった場合は、

この「成長した人格」が「ゼロを求める九条鷹匡」である可能性もあるため、

「ゼロを求める九条鷹匡」=「副人格」であることを踏まえると、

「ゼロを求めている時」は主人格が副人格に乗っ取られている状態であることが考えられる。

 

 

そして、最近になって訴求力が 目に見えてわかってくるようになった。

 

その事実から

副人格の「ゼロを求める九条鷹匡」は

主人格である「マネージャーの九条鷹匡」を

完全に乗っ取ろうとしているのでは、ということが考えられるのだ。

 

主人格が、副人格に乗っ取られると

本来の人格を失う。

どれが本当の人格なのかも 本当にわからなくなってくる。

 

もし、この仮説が通ったら何が面白いって、

2つの人格が ずっとあるのに、

天も理ちゃんも 気づいてないんだよ。

 

これこそ、多重人格の難しいところなんだよね。

多重人格者って 人格たくさんあることに自分も周りの人も気づいていない場合がある。

誰も気づかず、学校卒業して就職して 結婚して、みたいな ごく普通の生活をしてる場合もあるんだよな。

 

周りの人からは

単に「たまに短気になるよね」とか「急に優しくなるときあるよね」というような

「性格の一部」としか認識されておらず

まさか他の人格に入れ替わっていた、なんて考えられない、という場合があるのだ。

 

また、九条の訴求力については、一織や陸に重ねて考えてみるとわかりやすいと思う。

 

以前、一織は 陸の体調が思わしくなく アンコールに出られなかったとき

陸に歌わせなかったことに「罪悪感を覚えた」と言った。

そのときは大和が

陸をステージで倒れさせるまで、歌わせたかったのか、と 珍しく 真剣に一織を批判したが、

それでも一織は腑に落ちないようだった。

 

きっと、一織は 世界中の医者が止めても、歌っていたい、死ぬまで歌っていたい、と思っている陸を知っているからだ。

 

誰よりも近くで  可哀想な陸、を見ているから

真の訴求力を浴びて使命感に駆られている。

 

 

そんな 「一織」と「陸」と「大和」の関係を

天と理ちゃん」と「九条さん」と「他の人」に置き換えて考えると わかりやすいだろう。

 

 

「一織」=「天と理ちゃん」

「陸」=「九条さん」

「大和」=「他の人」

 

 

と、なにかしら その時の感情に繋がりを感じるはずだ。

 

 

 

「天と理ちゃん」は誰よりも近くで九条の訴求力を浴びている。

 

だが、「他の人」からすれば

「どう考えても九条のやり方はおかしい」と考えられてしまう。

 

その他者との違いこそ、

「天と理ちゃん」「一織」のように、

夢を叶えてあげなければ」という使命感に駆られているのも安易に想像できる。

 

きっと、使命感に駆られているからこそ

一織はステージに立てなかった陸を見て罪悪感を覚えていて、

天と理ちゃんも同じような思考回路になっている。

2人も罪悪感にかられないように 九条の夢を叶えようとしているのだろう。

 

 

そう考えるとやはり

九条鷹匡のゼロ説は結構あり得る話なのではないかと思ってしまう。

 

 

 

過去のストーリでゼロの最後のステージの日、ゼロアリーナから

精神病院に運ばれた人がいたと言っていた。

 

その人物がゼロではないか、という意見について IDOLiSH7のメンバーは否定をした。

 

ゼロのマネージャーと名乗る男(九条)が、ゼロの居場所は知らない言っていたことを知って

仮に精神病院に搬送されたとしても、マネージャーも知らないなんて あり得ないだろうと。

 

 

あり得ないよな。

あり得ないんだ。

 

 

だが、論外として

九条とゼロが同一人物だったらあり得るんだ。

また、何度も言うが 他の人格が現れている時と元の人格の2つがあった場合、

全くの別人として本人は捉えていて、

人格が変わったことにすら本人は気付いていない場合もある。

 

例えばの話 ゼロが九条だった場合に考えられることを上げてみる。

 

ゼロである人格の九条を「☆さん」

九条鷹匡というマネージャーの人格としての九条を「◻︎さん」と記載する。

 

 

「☆さん」がマスクをして素顔を晒さず キラキラしたステージで歌っていた。

それを「◻︎さん」 が テレビで見て 素敵だな、すごいなと感じる。

 

こんな現状が生まれるのだ。

同じ人が 全く別人として 1つの世界で生きている。

それなのに、当の本人は気づかない。

テレビで自分の姿を見ても なにも感じないし、 自分だということに特に 気付きもしない。

 

記憶がないのはもちろんのこと、

「◻︎さん」と「☆さん」は同一人物だったとしても、多重人格者の場合

「◻︎さん」でいるときの記憶や意思は「☆さん」でいる時には存在していない場合がある。

 

少なくとも2部を見た限り、

「ゼロでいる時の九条」は 自分が九条であることを理解しておらず、

また逆も然りで

「九条鷹匡でいる時の人格」に「ゼロとして生きている九条」は気づいてないない。

 

もし九条鷹匡が衣装を纏うことで「ゼロ」としての人格を目覚めさせていた場合、

衣服を纏おうとしていたところの記憶から 全てが飛んでいる可能性もある。

 

また、マスクも含め衣装を家で纏わせていた場合、毎日一緒にいるような親身な人 にしか

九条とゼロが同一人物であることに気づかなかった可能性もある。

 

人格が複数ある場合 ガラリと性格も変わるため

「まさか同一人物なわけないだろ」と周りの人が思っていた可能性があるのだ。

 

 

ただ、1つ九条鷹匡にだってゼロ以外の親身な人や友人はいたはずだ。

春樹はなんなんだろうか。

 

春樹はゼロを探していた時点で 少なくともゼロの容姿は知っている。

だが、ゼロ=九条であり、九条とも接触していたのならば

ゼロの本名は九条鷹匡であることも気づいているはずだ。

 

だって、ゼロに仮装していた九条鷹匡を

九条天は 見破った。

 

いくら顔を隠していても見破れる要素はあるのだろう。

 

そのため、九条=ゼロ説が成り立った場合

ゼロが活躍していた時代は 

「マネージャー」である九条の人格は きっと心の奥底に眠っていたのだろう。

副人格であるゼロの方が表に出ていた可能性が高い。

 

 

そのため、あたりまえのことではあるが

春樹の過去のお話で九条鷹匡とゼロの立ち絵が同時に挿入されれば、この考察は筋が通りはしないけれど、

九条鷹匡と顔を合わせたのがそう多くない回数である場合、別々の人間として認識している、もしくは鷹匡を知らないという可能性もあるため、鷹匡のゼロ説は最後の最後まで 否定も肯定も証明されづらいものになるだろう。

 

ただ  生前遺言書はあてにならないため、[春樹の口から直接二人のことが語られ 「立ち絵が存在すること」]がキーであると思われる。(春樹の口から語られただけの場合、ひっかけの場合もあるため 「立ち絵」がなければ確定ができない。)

 

九条はゼロとして生きていて、

ファンのざまざまな「好きの感情」に困惑した時、主人格の「マネージャーである九条鷹匡」に人格が戻ったのではないかと。

 

そして、マネージャーである九条鷹匡は、

全くの別人としてゼロを期待していた。

 

だけれど、体は1つしかない、

だから精神的にも身体的にも限界が来て

狂ってしまったではないかと。

 

精神病院に運ばれたのがゼロであり九条鷹匡でもあるのならば、すべて筋が通るし、

訴求力を九条が持っている理由も理解ができる。

また、「ゼロ」という名前についても

「存在しないから」という理由である可能性も浮上する。

 

最初は小鳥遊以外に「零」という文字が名前に含まれる人物が登場したら

その人が怪しいかな、と思っていたが、

 

「零」と「ゼロ」は意味が違うらしく、

「零」は全くないに近い状態で

「ゼロ」は全くないことを指すらしい。

 

そう考えると

「ゼロ」=「存在しない」という考察も できる気がする。

 

またDis One という楽曲について。

This One なら「ゼロが孤立している」ような図を想像することもできるが

Dis One だと 「バラバラ(離れた状態)になった一つのもの」としても受け取ることができる。

それ故に 九条鷹匡がゼロだった場合、これが伏線になるだろう。

 

とはいえ、ゼロ説については  こじつけなところもあるので これから新たな発見があれば また考察したい。

 

九条に主人格と他人格がはっきりあったとして

主人格がマネージャー

他人格がゼロ

であったとしたら、元々の九条は訴求力を持ってないのに、 自分の中で作られた理想の自分が訴求力を持ってる、ってことになるわけで

非常に恐ろしすぎる話だろう。

 

訴求力は持とうと思って持てるわけではないのに、なぜ本来の九条ではない人格が訴求力を持ってるのか。

九条にとっての「完璧で理想の人格」が作られた時に たまたま訴求力が備わったのか?

と、そういう話にもなってくるわけだ。

 

あとは、他の人物のゼロ説についても いずれ考察してみようと思うので それはまた今度。

小鳥遊夫婦のどちらかだった場合だと伏線がわかりやすすぎるから 都志見先生らしくはないですよね。

引っ掛けなような気がして どう考察しようか迷いどころです。

とりあえず事務所の社長たちの関係性についても考えを膨らませてみたいな。

 

 

棗巳波・六弥ナギ・桜春樹について

 

 

以前ブログで Sakura  Message = 桜春樹からのメッセージという 簡単な解釈で歌詞の意味を考察してみた。

Sakura Message - I7 blog

 

が、その点について 物語が進むにつれて

あれあれあれあれ、と疑問ばかり浮かんで来たので あらゆる可能性の考察をあげてみたいなと思います。

 

 

 

 

 

 

まず、以前のブログについて。

1ヶ月くらい前に追記を書いたんだが

Sakura  Messageは桜春樹が曲を作ったわけじゃなくて 桜春樹が書いたように見せかけたものなんじゃないかということ。

 

 

Twitterでも言ったんだが、

結論から言うとSakura  Messageの歌詞を綴ったのは 棗巳波なんじゃないかと思っている。

 

 

まず、その理由について記載する。

 

 

・棗巳波はノースメイアに留学していた。

・棗巳波は春樹を知っている。

・棗巳波はノースメイアにて音楽を学んでいた。

 

 

この点は、とてつもなくわかりやすい伏線であると思える。

 

ただ、これだけだとSakura  Message= 棗巳波が書いたとは考えづらい。

 

 

次に注目すべきは 時系列だ。

 

 

3章1話「Sakura Messageがライブで公開」


5章5話 棗巳波の言葉
「もうすぐ完成します。ノースメイアにいた頃から彼と一緒に手がけていた曲ですから。」


7章5話

春樹の生前遺言書の存在が明らかとなる


10章でZOOLがデビュー

 

 

 

5章5話で棗が言った

もうすぐ完成します。ノースメイアにいた頃から彼と一緒に手がけていた曲ですから。

と言う言葉。

 

おそらく、「」は春樹のことを指し、

「頃から彼と一緒に」ということは 今も尚一緒にいるであろうことが伺える。

 

この曲については御堂虎於が

「巳波、曲はできたのか?」 と話題をふっている。

 

この時点で 

「ノースメイアにいた頃から彼と一緒に手がけていた曲ですから。」

の「」はZOOLの曲である可能性が高い。

 

 

 

また、時系列を見て最初は 生前遺言書に付属されてた曲が

桜春樹と棗巳波の2人で作ったものである可能性も高いと思っていたが、

 

 

 

 ZOOLの曲を聞いた時のナギの感想。 

 

ZOOLのPoisonous Gangsterについて

壮五は「…でも、曲は好きだな。」と言葉を漏らす。

その壮五の言葉に便乗するように ナギが

「ワタシも好きです。

素敵な歌なのに、何故、真剣に歌わないなどと言うのでしょう。」

そう言うのである。

 

ナギは「春樹の曲が大好き」だとして公式では扱われている。

 

それなのに、ZOOLの曲について、壮五の呟きを 拾い、すかさず 好きだと漏らすのだ。

 

何がおかしいって、

「ZOOLの曲がいい曲」だということをただ表したいだけならば、

ここで壮五のつぶやきを拾う人は 環でも陸でもよかったのだ。

 

それなのに、わざわざ シナリオ上で

春樹の曲が誰よりも好き」という設定のある

六弥ナギに言わせる意図はなんなのか。

 

それこそPoisonous Gangster

桜春樹と棗巳波で作ったであろう曲であることが考察できる。

 

 

それを踏まえて、最初にも述べたが、

桜春樹と棗巳波は、今現在 同じ場所で生活している、もしくは 桜春樹の生活の場に棗が定期的に足を運んでいる可能性が高い。

 

そうなると、仲も深いことが伺える。

 

 

また、

春樹がナギの元を去ったのは ナギが18歳だったころの冬。

 

ナギは今現在19歳という設定である。

 

ということは 春樹がナギの元を去ったのは1年前になるわけだが、

棗巳波は

「去年までノースメイアに留学してたらしいぞ。」

という情報が既にでている。

 

桜春樹が失踪した年と、

棗巳波が日本に戻る年がマッチしてるではないか。

 

というわけなんですね。

 

その点から

巳波はなんらかの形で春樹と遭遇した

もしくは

元から巳波は春樹と知り合いでノースメイアで再開した、ことが考察できる。

 

桜春樹は 迷惑をかけることを気にして 失踪したことになっているが、

もしかしたら、棗巳波が 桜春樹の失踪に関わっている可能性が大いにあるのだ。

 

ナギが王族である仮説が通った場合、

療養中の桜春樹がナギと一緒に生活していたとすれば、外に出るのは気軽なことではない可能性も高い。

 

そうなると、桜春樹が棗巳波と接触したこともあまり考えづらい。

 

が、その場合の考察について。

桜春樹が失踪後、途方にくれる桜春樹と棗巳波が出会い、日本に一緒に帰った。

という考察と

ナギの母親が日本人という点について、

棗巳波がナギの母親と接点を持っていたとすれば、秘密で桜春樹に会っていたということも安易に考えられる。

 

後者の場合は、棗巳波と桜春樹が 元から親しい関係だった場合に有効な考察だ。

 

 

「元から親しい」ということについて。

「日本では人気の留学先ではありません。」

と、ノースメイアについてナギが語っているシーンがあるが、

 

元から桜春樹と棗巳波が親しい場合は 

「桜春樹から音楽を学ぶ気」でノースメイアに旅立っていた可能性が高い。

 

この考察が 合っていた場合、

ノースメイアにいることを知っていたこと自体、かなり 親しい関係柄であることがわかる。(春樹とは親戚とかそういう関係なのかもしれない)

 

また 母以外の人物で この件に関与している可能性のある人物として、

ナギと ナギの兄は仲が悪いということも明かされているが、
そうなるとナギは「自由を求め日本に渡り」、
ナギの兄は王族としての「縛られた生活を続けている」ということも考えられる。

 

どちらも 自分の意思で 行動していたとすれば、ナギの兄が 国のためにと 春樹に対し酷い扱いをしていた可能性もある。

 

 

 

 

 

 

で、話がズレたがSakura  Messageがなぜ 棗巳波が作った曲か、ということについて。

 

まず、Sakura  Messageを作った人について

ストーリー上では「桜春樹」ではなく

わざわざ「作詞家」と表記されており、

しかも 売れ行きについて 作詞家が自ら事務所に連絡を入れていたことも明らかになっている。

 

桜春樹はあくまで作曲家であることが明らかになっている、作詞家ではないという描写がないため

こじつければ 作詞家=桜春樹とも受け取れないわけじゃないが、

まず、今まで 作詞家が自ら事務所に連絡を入れてくるなんて描写はなかった。

 

それに、桜春樹を作詞家と呼ぶこともなければ、もし桜春樹から連絡があったとすれば

ナギにもその情報が行っているはずだ。

 

この点から Sakura  Messageを作詞したのは 桜春樹ではないのではという考察ができる。

 

が、桜春樹が書いた詩ではない、ということをはっきりと述べている描写はないため、

IDOLiSH7のメンバーは誰が歌詞を書いたのか知らずに歌っている可能性が浮上するわけだ。

 

 

 

そしてSakura Message の大和のラビTV第3話にて、

 

三月「そういや、『Sakura Message』聞いた時のナギ、ちょっと様子変じゃなかった?」

大和「ま、いつものハイテンションじゃなかったのは確かだな。」

 

そんな会話がある。

 

また、Sakura Messageについてのナギの感想は
「どこか心に…。心に残る素晴らしい曲です。」
と言うも、 言葉に詰まっているような言い方だった。

 

ZOOLの曲に対しては大絶賛していたのにも関わらずだ。

 

この点から ナギはSakura Messageについて、何かしらの違和感を覚えていることが伺える。

 

 

 

Sakura  Messageの歌詞については 以前もブログに詳しく考察した。

それも、Sakura  Message=桜春樹からのメッセージという解釈で。

 

その解釈ができたこと自体。

 

ナギと 春樹のことを歌った曲であることは きっと間違いはないだろう。

 

が、春樹が 歌詞を書いたわけではないとなった場合、

春樹とナギの関係を知り 作詞に挑んだ 人は

グンッと限られてくるわけだ。

 

そんな中 春樹と親しく、ナギの話をよく聞いていたであろう人物は 棗巳波、

もしくは ナギと春樹の生活を知っていた

ナギの使用人あたりの人物か…。

 

 

だからこそ、Sakura  Messageを聞いたナギは

違和感を持ったのではないのかと、私的には思う。

 

桜春樹がいつも作る 「ナギの好きな春樹の曲」ではない と薄々気づいているのではと。

 

 

 

また、棗巳波が ナギに対して

 

「『Sakura  Message』を歌うあなたは、とても素敵ですよ。」

 

「いいえ?最上級の皮肉です。」

 

と言ったことに対しても、

もし 棗巳波がSakura  Messageを作詞した張本人で、

ナギは少しの違和感を持ちながらも

Sakura  Messageを春樹の曲として受け止めていたとすれば、

春樹の歌でないことにも気付かず歌っていることになり、「最上級の皮肉」というのも意味がよく通る。

 

また、Sakura  Messageの歌詞の意味についても 残酷的な桜春樹の未来がいくつか 描かれている点から、

それについて「最上級の皮肉」と言っている可能性もある。

 

 

で、前回の考察同様 ここからは 妄想のオンパレードを繰り広げるのでご注意を。

 

 

 

まずジャケット写真について。

 

以前 私は  皆の手のひらの上で舞わせてるものは オフィーリアの死から連想される「勿忘草」では、 と、述べたのだが、

今更になって  ほかの意見を突き立ててみてもいいだろうか。

 

 

まず、「季節」を表す言葉が名前に入っている人は作曲家であることは、よく知られていることであり、「なつめ」の「なつ」がそれに当たる。

 

また、「巳波」の「巳」は動物を示し、ZOOLの一員であることを示すキーワードである。

 

この点はよく知られているキーワードだ。

 

 

ただ、もう1つ棗巳波の名前にキーワードがあるとしたら、

桜春樹の名前に 花の名前があるように

棗巳波にも花の名前が入っている。

 

「棗」がそれに当たる。

 

ナツメという植物があるのだが、

取り敢えず画像を見て欲しい。

f:id:haruchi1130:20171007162015j:image 

「棗」とは このお花のことなんだが、

ジャケット写真の花にとても似ていると思わないだろうか。

また、ジャケット写真に「星」が書いてあることにも注目してほしい。

「棗」の花は「星型の花」として有名な花であるため、ジャケットの星は 「棗巳波」を強調している可能性も高い。

 

 

そして棗の花言葉を調べたところ

 

「健康」

「健康の果実」

 

 

そんな花言葉があり、

「棗」の果実は 健康によく

 

病気の人によく送られる花言葉なんだとか。

 

 

そして 曲中の「桜」は「散っている」様子として描かれている。

 

まるで、桜春樹が 病により命を散らしている時に、癒すのは ナギではなく

健康の象徴の「棗」の花を持つ、巳波だと 示しているようだ。

 

 

 

対して、桜春樹の「桜」は

「美しい精神」を表す言葉である。

桜春樹は 決して曲がらない心優しい人物であることがわかるわけだ。

 

それを踏まえても、

桜春樹がナギを恨んでいるとは考えづらい。

ナギを友だと思っているのもきっと本音だ。

 

 

では、なぜ棗はナギに対して

「自分のしたことも忘れて、よく友人だなどと呼べたものですよ。」

と思っているのか。

 

完全に妄想になるが、

ナギは 春樹と会うことを 親に反対されていた。

その点から ナギの家族は もしや 春樹をよく思ってなかった、もしくは ナギに悪影響を及ぼすと思っていたことになる。

 

となると、

ナギは 春樹のためにと善者になって 家に招いていたとしても、春樹にとっては

自分のことを嫌いな人に囲まれての生活は 苦痛だったのではなかろうか。

 

 

実際 過去にこんな会話がある

 

「自分たちが一生懸命作った歌を、誰かに真摯に受け止めて、わかって欲しかった。

純粋に喜んでもらいたかったんだよ。」

 

「OH...ハルキもそうだったんでしょうか」

 

「……叔父さんも……。」

 

「きっとそうだよ。」

 

 

壮五の叔父が 壮五の父から嫌われていたのは

「音楽を好いていた」からである。

壮五の父は 祖父の好きだった 音楽を好いてなかった。

 

もし、ナギの家系が ノースメイアの中では「王族」に位置する場合、

壮五が御曹司として育てられたのと同じように

ナギにも やらなければならないことがあったことも安易に想像できる。

 

そうなれば、「音楽」や「自由」の楽しさを教える桜春樹は ナギを指導する側の人間からしたら 迷惑な部外者でしかなかったとも考えられるのだ。

 

また、漫画の方で語られているが

ナギにボーイフレンドがいない理由として。

「ナギ」という人物が高嶺の花すぎて、皆が躊躇し、関わろうとしない、そんなイメージが持てる描写があった。

 

高嶺の花というのは、ナギの場合、美形だとかそういうことだけではない。

ナギの地位が高すぎるがゆえに、周囲の人が下手なことをして ナギと何か問題でも起こしたら大変なことになる、というような意味もあるだろう。

 

地位が高いからこそ ナギに嫌な思いをさせて ちくられたりでもしたら 何をされるかもわからない。どんな処罰が降るかもわからない。

 

例えばの話 王族に 一般人が手を挙げた、なんてことになれば、

たとえ王族の方が悪くとも、一般人が叩かれるだろう。

 

あんなにも気品 溢れ、国の財政を担う王族に手をあげるなんて何事だ!と。

犯罪になるかもしれないし、国中の国民から一生 冷ややかな目を向けられて生きて行かなければならないかもしれない。

 

そんな真意が受け取れる描写から

ヒビの入ったガラスを扱うように、

なるべくナギに触れぬよう、周りの人はナギと距離を取っていた、ということが読み取れる。

 

だからこそ、地位の高いナギにフレンドリーに関わる春樹は ナギの身内以外の人間からも

痛い目で 冷ややかな眼差しを向けられていた可能性もある。

 

 

それを踏まえて

いま配信されている三部で強く語られてきたことは

自分の好きなものを認めてもらうこと」による承認欲求が満たされるというものだ。

 

桜春樹の好きな「曲」

桜春樹の作った 「皆に認めてもらいたかった曲」が、ナギ以外の人間には批判されていたとしたら、承認欲求が満たされず 大きなストレスにもなる。

精神的苦痛となり、病状を悪化させる可能性だってある。

 

もしも、自分の好きな「歌」というものが

自分の伝えたいように伝わらなかったり

何かに 脅され 作らなければならないとでもなれば 桜春樹も 耐えられるもので はないだろう。

 

 

 

それにナギが気づいていなかった場合、

知らぬうちに 春樹を苦しめていたことにもなるため、

春樹が深く傷ついていたことも、

ナギには何も身に覚えがないことも、

筋が通る。

 

そんな中、春樹を慕っていた 棗巳波が 桜春樹を求めてノースメイアに行っていたとしたら、

棗巳波は春樹に対する酷い対応を見てナギを恨むと同時に、

春樹を守りたいと動くだろう。

 

自分の大好きな春樹を酷く扱われたことが苦しくてたまらなくて 春樹と共に日本に帰国したということも考えられる。

 

 

 Sakura Messageは棗が作っていたとした程で話を進めてみるが、

ズバリ春樹は きっとナギのことが今も好きだ。

だからこそ 棗は ナギと春樹の関係を知っていて Sakura  Messageという曲を作れた。

 

棗がSakura  Messageの歌詞を書けたのは

先ほども述べだが

棗巳波に ナギの話をよくしていたためだと考察ができる。

 

 

ただ、それは棗からすれば

「なんであんな人と友情を築くのだ?」

「桜さんを傷つけたのに」

と嫌悪感持つ元となると同時に、

「私が 桜さんを療養させている。」

「私の方がナギさんよりも 桜さんのことをよくわかっている」

「私の方が 桜さんの事が好きである」

という嫉妬にもつながる。

 

 

 

3部は 大和から始まった。
愛されたいけど 愛されたいと認められない。
いわゆる「愛される努力をしない」人たちが
愛されたいという欲求に刃向かい、狂い、
愛されたいと自らが認め、愛して欲しい人に愛された時に報われるシナリオになっているはずなのだ。
(本来の自分を愛してもらおうと 葛藤するシナリオ)

 

棗もきっとそれなのだ。

桜さんに愛されたい。でも、子役の頃から業界の闇を見てきた棗は、

愛されるなんて馬鹿らしい、

くだらない、愛なんて裏切り合う儚いものだ、

そう思ってしまっているのであろう。

 

だからこそ、春樹に対しても 「愛されたい」と思うのではなく、

「なぜナギの方を認めるのか?」と

ナギを恨むことで、ナギを悪い人物とし、

自分を優勢の位置に立たせ 春樹から承認欲求を受けようとしているのではと思われる。

 

 

それを踏まえて 桜春樹の色はおそらく 髪の毛や服装の色からしても赤紫だ。

 

赤紫は「愛」という意味がある。

 

その点から桜春樹は 人を愛することのできる人だとわかるため、

 

側からすれば、「皆を愛する人」になるわけだが、桜春樹に愛された人にとっては

「自分が桜春樹の1番でありたい」

と思ってしまうわけだ。

 

その意思こそが、嫉妬心を生む。

 

なぜ自分よりあの人を見るのか。

自分の方が優れているのだから 私を認めるべきだ。

 と、思ってしまうのである。

 それが嫉妬心となり 悪い思考へと傾かせる元となる。

 

 

 

 

また 九条鷹匡に送られた生前遺言書の意味と

桜春樹が ZOOLの曲に携わっているであろう件について。

 

まず、棗巳波は ZOOLの曲を 桜さんにも聴かせたかった、というようなニュアンスの言葉を

ラビTVにて漏らしている。

(桜という名前は出てないがおそらく 桜春樹のこと)

 

 その点から 桜春樹が衰弱しているであろうことが見受けられる。

 

で、そうなると1つ疑問が生まれるわけだ。

 

さて、そんな衰弱している春樹が 自分の足で 生前遺言書を出しに行くだろうかと。

 

もし、春樹ではない人物が生前遺言書を出しに行っていたとすれば、

春樹の代理として 春樹の近しい人物が 生前遺言書を出しに行った可能性もある。

 

となると、それに値するであろう人物は

棗巳波になるわけだ。

 

 

その場合の仮説としてTwitterでも呟いたのだが、

もし、棗巳波が

六弥ナギに渡るはずの生前遺言書を

六弥ナギではなく 九条鷹匡に送り、

六弥ナギには皮肉を込めた自分の作った歌を送っていたとしたらどうなるか。

 

 

春樹はナギのことを友人だと思っているが、ナギには生前遺言書が届かない。

 

ナギは傷つく。それにより 棗巳波は「ざまあみろ」となる。

 

さらに 春樹は「 生前遺言として託した曲をナギが歌ってくれない事実」に直面し、

「自分のことはもう忘れてるのでは」

「友人ではないのでは」と不安になるだろう。

「ハルキの歌はソウゴの夢の邪魔をしたりしませんよ。」と、以前ナギが言ってはいたが、

さすがに 人生最後の曲となれば、

自分の大切な人に歌って欲しいに決まっているだろう。

 

その不安こそ 棗巳波からすれば 幸運である。不安になると 近しい人から愛情をもらいたくなる。だからこそ  春樹が不安になることは 棗を求めることに繋がり、

求められること」は、自分が認められてる証明にもなる。

 

ただ、この意味のわからん仮説が合っていたとしても、きっと棗巳波は 春樹を傷つけるためではなく「春樹のために」やっている。

 

 

棗にとってナギは「春樹を傷つける人」という認識があったとすれば、

ナギを春樹から遠ざけられるため、

「春樹がこれ以上傷つかぬように」

「最期まで 傷つくことはないように」

というような、意思があるのかもしれない。

 

 

正直なことを言うと、

この仮説は  ストーリーを読んでいて

「絶対こうじゃん!」と閃いたものではない。

 

この考えに至ったのは 「こうだったら面白そう」という好奇心と妄想から 始まった考察だ。

だから、考察の理由は後付けである。

 

 

が、理由を後付けしていて思ったのだ。

よくよく振り返ると結構辻褄が合うのでは、と。

 

 

九条鷹匡が生前遺言書のために日本に帰って来てるのは3部 2章で確認ができる。

対してSakura  Messageが ライブで公開されたのは 3部の3章である。

 

さらにSakura Messageの公開直前に環は

「早くみんなに 聴かせたかった!」と言っている。

その環の言葉から3部の3章より前に IDOLiSH7の手元に Sakura Messageが届いていたのもわかる。

 

 

それらを踏まえて

九条鷹匡の元に生前遺言書が届いた時期と

IDOLiSH7の手元にSakura Messageが来た時期が 異常に近しいと思いまして。

 

それこそ、棗巳波が六弥ナギと桜春樹を遠ざけるために 同時に送りつけたということも考えられるのではないだろうか。

 

 

 

ZOOLの曲について、なぜ春樹が携わることになったのかという考察については

 

まず、棗巳波は 「名子役」という肩書きがあり、周囲に期待されている。

 

桜春樹はナギに対して自由に生きることを教えていたと考えられる 、

それと同時に、棗にも 名子役だけではなく、色々な生き方があるのだと選択肢を与えてあげていたのではとも思われる。

 

そして 春樹とノースメイアにいた頃から一緒に曲作りをしていたと言っている時点で

その選択肢が 「作曲」である。

 

棗巳波は 「自分の好きなもの」はきっとナギと同じく「桜春樹の曲」であって、

桜春樹のこともとてつもなく大切だった。

 

だからこそ、ZOOLの曲作りに桜春樹を携わらせて、「桜春樹と棗巳波の曲」を作り上げたのではないだろうか。

 

ZOOLとしてデビューして 皆に認められて、世間から求められた。

その事実は直接的に

「世間は 桜春樹と棗巳波の曲を認めた」

「桜春樹にふさわしいのは棗巳波」である事の証明にもなる。

 

さらに その曲を自分の所属する「ZOOL」が

歌い、賞賛されることで

「六弥ナギより 自分の方が桜春樹にふさわしい」

という承認欲求が満たされることとなったのではないだろうか。

 

 

 

 

また、Sakura  Messageの衣装について

三角形」が詰め込まれ柄になっているような シンプルで非常にお洒落な衣装だ。

 

その「三角形」についてだが

調べてみると

「友情」「平和」「調和」を示し、

争いや対立を乗り越えると 精神的な成長ができるという 意味があるらしい。

 

そう考えるとSakura  Messageの衣装は まさに「三部」の波乱を描いたような 衣装だ。

 

きっと、全てを乗り越えた先には

精神的な成長があり、

皆がそれぞれ大人になるのであろう。

 

 

最後に ちょっとした紹介だが

「ナギ」という植物もある。

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この植物は昔から 

「苦難をなぎ払う」 として知られている。

 

ナギくんは大丈夫だろう。何があっても。

彼は 正真正銘IDOLiSH7の精神的柱である。

苦難をなぎ払って IDOLiSH7をハッピーエンドへと導いてくれる人物だ。

 

また、「ナギ」の葉は 「縁が切れない」という意味も持ち合わせるため、

IDOLiSH7から抜けることもないだろう。

桜春樹との縁も IDOLiSH7との縁も 決して切れることはないのだ。

3部14章 考察 感想

 

 

さてさて やっと きました!

私の大好きな章です。

 

 

ー 夢と役割の間 ー

 

見るからに 怪しい題名がつけられた14章。

 

内容を掘り上げるとアイドルの分岐点になっていて、ここの章から 最重要人物のメンバーの心情が徐々に変わっていくんだな、というのがよくわかる。

 

泣けるお話なので、暇さえあれば見ている章でございます。

 

ということで 掘りあげましょう!どしどしと!

 

 

 

ー1話 最初から始めようー

 

龍と楽が部屋を片付け 前に進もう!と明るく決心してる中

描写が変わり、九条天と九条鷹匡のシーンに。

 

 

「九条さん…。お願いです。」

 

天のこの一言で、私の胸がズタズタにされた。

キツすぎる。

泣きたくなるほんとに。

ここのシーンで、天は九条に初めて 嘆いたんじゃないだろうか。

天も精神的に追いやられてるのがよくわかる。

 

その後のシーンで 九条さんが明らかに精神異常である描写もあって、

それに対して

 

「ボクがTRIGGERを抜けないことは、ゼロのように、無責任に消えないという証明です。」

 

この言葉も 辛くて仕方がない。

 

だって、初めて龍之介と楽に 心を開いて 身内の話をしたりもして、

自分の心情も正直に話した後、

皆で一緒に高みを目指そう、という決心もした。

 

それなのに、九条さんの前では

「九条鷹匡を裏切らない証明」としてTRIGGERを続けることを約束してしまう。

 

本当は九条さんのためじゃなくて、

「自分のため」にTRIGGERをやりたいと思っていたところなのに。

自分の心にやっと正直に生き始めたのに展開が 悲しすぎる。

 

それに、ここでの天の言葉は

単なるこじつけの口実であって

その場しのぎの言葉にすぎない。

 

いつ九条さんの気持ちが変わって、

解散させられるか、

引き抜かれるかもわからなくて、

いつ自分が龍と楽を裏切るかもわからない。

 

そんな恐怖と不安に支配されてる天は どうやったら報われるのだろうか。

 

 

ーゼロのいる頃の九条さん情報ー

「純粋で、素朴で、たまに抜けたところもあるけれど、夢にあふれた少年だったって…。」

 

やはり、ゼロに依存しすぎていたことが よくなかったということ。

だからこそ、ゼロがいなくなった時に 自分の中の何かが壊れてしまった。

 

でも、九条さんは依存したんじゃないんだよね多分。

「依存させられた」なんだよ。

 

ちょっと先のストーリーも読んだ程で

ここで説明するけれど、

 

ゼロは七瀬陸と同じく訴求力の塊だったんだろう。

 

アイドルブームにもなってない 世間で、

売れるかもわからないのに、わざわざ「アイドル」として芸能活動をし始めて

 

それなのに、いつの間にか世界中がゼロの虜。

 

 

だからこそ、九条さんは 無意識 依存してしまっていた。

和泉一織が、「七瀬陸の夢を叶えなければ」と強い使命感に襲われたように、

九条さんも 「ゼロの夢を叶えなければ」「ゼロをトップスターに仕立てなければ」というような思考に 自然とさせられていた可能性が大いにある。

 

 

「純粋で、素朴で、たまに抜けたところもあるけれど、夢にあふれた少年だったって…。」

 

これが本当だとすれば、

この時の九条鷹匡は まさに和泉一織である。

 

一見「純粋」「たまに抜けてる」「夢にあふれてる」というと

「七瀬陸」を思い描くかもしれないが

違うのだ。

 

 

和泉一織は 七瀬陸以上に 夢にあふれている。

 

だから、七瀬陸に永遠があることも信じているし、「七瀬さんならできます」という根拠のないことを いつも頭に思い浮かべている。

 

対して七瀬陸は 意外と 夢が小さい。

奇跡も きっと信じてない。

自分がみんなより早く死ぬこともわかっているし、それゆえに永遠がないこともわかっている。

円満にお別れができれば、それでいい。

自分が死んだとしても100年分歌えたら もう それで満足。

そう考えている。

 

一織と七瀬陸の違いは 「永遠」に対する価値観の違いなんだろう。

 

 

 

そして、きっと 話の流れ的に 九条鷹匡とゼロも同じだったんだろう。

 

 

儚く幻のような 美しいオーロラは夢の世界に入ったような気分にさせられる自然現象である。

 

ゼロはそんな「オーロラ」に憧れていた。

 

まるで 七瀬陸が 一瞬の夢を見るために 流れ星を降らせたいと言うように。

 

 

 

それに対して 九条鷹匡は

永遠に輝き続けるモノを求めていた。

 

まるで、和泉一織が 七瀬陸に永遠があると信じているように。

 

 

 

 

 

 

「弟が死にかけている時でも、

TRIGGERのメンバーが死にかけている時でも。

僕が死にかけている時でも。

 

君はステージに立っていてくれ。

どんな事情があっても、絶対にステージを捨てないでくれ。」

 

この言葉にYESの返事を出した 九条天には 同情するしかない。

 

 

せっかく溢れ出していた 「七瀬天」としての欲。

 

TRIGGERのメンバーで一緒にステージに立ちたい。弟を守りたい。

 

そんな欲を見透かし、

空いた蓋を閉じるように 約束を交わさせる。

 

天の優しさに漬け込んで、

精神を支配して 自分の手の平から出られないように仕向ける。

 

ほんとに最悪のシナリオの始まりだ。

 

天の優しさに甘えて

九条天を 自分の夢を叶えるための「コマ」としか思ってない。

甘えれば言いなりになるだろう、という天の優しさに漬け込んでいるのだ。

 

 

九条鷹匡の過去にも同情するけれど、

環が以前に言ってたように「可哀想だからってなんでもしていいわけじゃない」んだよな。

天には 天の夢があって 守りたいものがあって 生きてる理由もある。

 

それなのに、九条鷹匡が 天の感情までもコントロールする。

天だって人間なのに 。

 

このままだと 天も理ちゃんも 2人揃って精神的に潰されて終わりだ。

 

 

 

 

 

そして、次のシーン。

百と三月が 自分たちは「仲間じゃない」ということを表すために わざと 揉めるシーン。

 

いやぁ、もっといい 喧嘩の原因を作ることはできなかったんでしょうかね(笑)

 

セクハラもやばいですけども、

裸になれとか 意味がわからなすぎる。

 

 

気が進まないなぁ…。

ラビチャでもそうでしたけど。」

これも、伏線だったとはね。

 

月雲の前で わざと揉めたつもりが

結果的に 月雲の思うツボであり、

スタッフさんからのモモの信頼が落ちただけ、という結果になった。

性格が悪い、百と三月は仲が悪い、

関係のないスタッフたちに そう思われちゃったわけだ。

 

この事件が後にどう動くのか。

 

三月と百が動いた。

百は 三月に対して「過保護」になっている。

 

この点に関して、 月雲が次に何か仕掛けるとすれば 百が守りたい「三月」である可能性が高い。

 

 

実際モモは三月との会話で

「三月まで、龍みたいなことになったら、オレ、舌噛んで死んじゃうかんね。」

そう言ってる場面があるが、

それを逆手にとると

「三月が潰れれば モモも潰れる」という事実になる。

三月のいる小鳥遊プロダクションには 更に百が大好きな万理もいる。

 

小鳥遊プロの社長である 音晴もそろそろ動き出すんじゃないかと 思ってしまうよね。

 

 

 

モモたちが揉めてる間に 電話をしているプロデューサーさん。

 

まさかの「フィッシュ&チップス」

ここで来ましたかと 笑みがこぼれました。

 

一見 百の作戦失敗で 月雲が有利になっているかと思いきや、

わざわざ ここ場面で「フィッシュ&チップス」を ぶち込んでくるあたり。

 

きっと、百がピンチになった時に 救うのは千であるのだろう。

 

千は組織を作って 何をしようとしてんだか。

 

 

 

 

ーFriends Day に関してー

 

Friends Day は あけぼのテレビで放送され、その制作局長の座を奪おうとしている人がいることが千の言葉により明らかとなる。

 

つまり、ツクモが Friends Day に関して、ケチをつけて来てFriends Day が大コケしたら
制作局長の責任になるため 制作局長が下され新たな人が その座に座ることとなる。

 

要約すると、

制作局長の座を奪おうとする人が ツクモに協力するということ。

 

 

「ひっくり返されないオセロ石でいて。

あなたが僕らを守るなら、僕らがあなたを守る。」

 

千はいつのまにか こんなに頼もしくなっていたのか。

 

「守る」なんてきっぱり言ったの初めてなんじゃないか?

 

いつもは 事が起きてから 「守れなかった」とか「傷つけられた」って怒ったり後悔してたけれど、大切なものが増えてくうちに

これ以上 自分の大切なものを壊されたくなくて そう言ってるんだろう。

 

 

「Re:valeは何度だって、最初から始められるんだ。」

 

最後の この一言 逞しすぎて泣けるよね。

万理や百が守ってくれた 「Re:vale」を今度は自分が守ろうとしていて、

過去に絶望していた千とは違い、

モモが隣にいる事で 明るい未来ばかりを思い浮かべている。

 

千さん三部で成長しすぎじゃない?大好きになっちゃいそう。

後、思ったのは やっぱ 成長の筋道が天くんに似てるということ。

自己実現欲求を持ってた 千が 退行して 大切なものを愛して欲しいと思うように、

天くんも 今現在 自己実現欲求から退行してる。

千さんって 壮五や天みたいな 自分の感情 抑え込むように育って来た人に対しての

目印的な存在なのでは、と思いつつある。

 

 

 

 

 

ー 2話  MOP ー

 

TRIGGERが久々に合流して

Music Of People を目指そうと提案される話。

 

 

ーMusic Of Peopleとはー

・ 一年で1番話題になったアーティストを決める 

・ネットユーザーの参加率が高い

・注目度がやや落ちるためツクモの圧力がなく、古狸たちの工作がない

 

ー今回の候補ー

Re:vale

ZOOL  

棗巳波のドラマの主題歌を歌ったバンド

花巻アゲハ

IDOLiSH7

TRIGGER

 

 

 

ここで、TRIGGERが話題を作って 賞を取ろう!という目標になるわけなんですが

姉鷺さん頼もしすぎないか。

 

これからのこともすでに考えていて

ファンのことも考えている上に

TRIGGERのメンタル面もちゃんと見ている。

 

万能事務員でありMEZZO”のマネージャーである大神万理と比べても 強すぎるだろ。

 

そんな中、精神的に揺らいでる九条天くんがついに聞いちゃうんですね。

 

 

「理想のアイドルって、

なんだと思いますか?」

 

そんな天の問いに返した言葉が

 

終わらないアイドルよ。」

 

 

この姉鷺さんの言葉で九条鷹匡がなぜ

「君はステージに立っていてくれ。
どんな事情があっても、絶対にステージを捨てないでくれ。」

という言葉を言ったのか というのがわかってしまったんですよね。

 

 

「夢の終わりなんて誰も見たくない」

その通りである。

 

だけれど、タイミングが悪い。

ますます、九条天が 九条鷹匡の言いなりから逃げられないことを象徴しているようで 悲しくて仕方がなくなった。

 

でも、やはり姉鷺さんは できるマネージャー。

だから こんな中途半端に天を追い込んだりはしなかった。

 

 

「伝説なんて賞賛よりも、ある日、突然、姿を消したりしないアイドルの方がいいの。

 

日本一のトップスターじゃなくたって、

顔に傷があったって、声が出なくたっていいの。

 

終わらせないでくれたら、それでいいのよ。」

 

 

一つ言いたいんですけど、

このシーンみなさん ストーリー読み直して スクショしておいた方がいいと思うんです。

どうしたらいいのか、っていう模範解答であって、アイドルが 自己犠牲をせずに唯一報われる道。

 

 

九条鷹匡 という人と

姉鷺カオル

小鳥遊 紡

 

マネージャーのような位置にいる人の名前の中「鳥」が入ってる点について 何かしら 事件が起こるのだろうとは思っていたが、

 

 

「伝説なんて賞賛よりも、ある日、突然、姿を消したりしないアイドルの方がいいの。」

 

これが全てを物語っている気がする。

 

 

 

九条鷹匡は 伝説という賞賛を求めてる。

一周回って自分のことしか考えていないことになる。

 

アイドルの欲求について - I7 blog

以前 考察したアイドルの欲求について、和泉一織の欄を見てほしいのだが

「賞賛されること」は直接的に

自分の好きなものを認めてもらえる、という結末につながる。

 

それは、現 和泉一織が持っている欲求と同じであって、九条鷹匡は「承認欲求」を満たそうとしているということがよくわかる。

 

きっと九条鷹匡の場合、ゼロが世界中から賞賛された時に 承認欲求が満たされて

その「快感」をまた味わいたいと思ってしまっている。

ここの部分は七瀬陸にも似ている。

七瀬陸は 自分が認められることに 囚われ

承認欲求を満たした時の快感に依存している。

 

だからこそ、一織と陸の組み合わせが  良くも悪くも 魔王とモンスターということになってしまう。一織と陸は 気が合いすぎて 間違っていることに気づけないから 承認欲求を満たす快感に2人して 依存していく。

 

 

 

でも、姉鷺さんは違う。

どんな形であれ「終わらないアイドル」を目指している。

伝説なんていらない。マイクを置かないでくれたらいい。

 

 

その姉鷺さんの言葉について 九条天は身に覚えがないか、頭の中を巡らせてほしいのよね。

 

九条天は 幼い頃から 七瀬陸にとって「スター」だった。でも 彼は 七瀬陸の元を去ってしまった。

でも、天はテレビの向こうで歌って踊ってた。

七瀬陸にとっては 「天が存在している」ことが一番の心の支えであることが伺える。

だからこそ陸は「天にぃは永遠に俺のスターだ。」とハッキリ言っている。

 

天にとってもそうだ。

陸がいなくなって欲しくないから 

借金返済の条件を元に養子に出た。

陸が無理するのを察して アイドルになることも 反対していた。

 

天にとっても「陸」が存在しているだけで嬉しいんだ。幸せなのだ。

逆に陸がいなくなったら 確実に天は潰れる。

 

 

だから、「永遠」が必要なんだ。

そして「賞賛」はいらない。

 

欲張りになれば 求めていたものが消えて不幸になってしまう。

 

作者が言いたいのはきっとそんなことだろう。

 

 

目の前のものばかりに囚われないで 周りを見れば 幸せにつながるヒントは 落ちてるのに、

それに気づける人はごく稀なのだ。

 

 

九条天は2部で  もう気付き始めていたのだ。

 

自分がゼロを超えたところで
九条鷹匡を幸せにはできないと。

 

 

そして、その天の未来予想が 三部で段々と確信に変わってきている。

恐れていたことが明確になり、

じわじわと天の心を恐怖に陥れている。

 

 

九条鷹匡は天のファンじゃない。

あくまでマネージャーの様な存在だ。

 

その証拠に TRIGGERの終わりを提案した時も TRIGGERや天のファンの気持ちなんて1ミリも考えてなかった。

九条鷹匡は 天のファンじゃないから ファンの気持ちなんて 考えるつもりすらないのだ。

 

「永遠」をファンが求めてることを知ってるくせに、「自分の育てた天」が「賞賛される未来」を優先している。

自分の欲求を満たすことしか考えてない。 

 

だからこそ 天を使って 「自分の育てた天」が賞賛されることを願っている。

 

しかし、ゼロが世界中から賞賛されて 九条鷹匡はどうなっただろうか。

 

 

彼は満足するどころか

もっともっと賞賛が欲しくなってしまったんだ。

 

 

天に借金返済の話を持ちかけて わざと自分の元に来るように仕向けて大好きな家族から引き離した。

悠に養子に貰ってあげると期待させておいて、失敗作だと見捨てて、人生をめちゃくちゃにした。

養父母に引き取られて自分の場所が見つかって幸せに暮らせるはずだった理ちゃんの家を潰して、養父母に夜逃げさせて 理ちゃんを深く傷つけた挙句、借金返済を条件に 自分の養子に招き入れる。

 

 

賞賛が欲しい」という欲にまみれている 九条鷹匡のせいで、どれだけの人が犠牲になっただろうか。

 

 

そして、「九条鷹匡が育てた天」が賞賛される日が来ても

九条鷹匡の欲求は満たされることがなく「もっともっと賞賛されたい」と思うようになるであろうことについて薄々気づき始めている九条天。

 

 

彼は 皆を幸せにしてあげたい。

ただそれだけなのに

自分じゃどうやっても九条鷹匡を幸せにはできないと気づいているのだ。

 

それでも、自分が九条鷹匡を裏切れば、

九条鷹匡が 周りに危害を及ぼしたり

理ちゃんや 悠のような人材を増やしてしまうであろう最悪の未来も思い描いて 九条鷹匡の手のひらの中から逃げられずにいる。

 

自分1人では絶対に解決できないことも分かっているのに、

どうしたらいいのか わからないんだ。

 

どうやったら みんなが幸せになれるか、九条天は わからないんだよね。

だから 未来が怖くて仕方がないんだろう。

強がってなきゃやっていけないんだろう。

 

 

「あなたたちが ファンに見せた夢を、TRIGGERの名に責任を持って続けていくわよ。」

 

やっぱ頼もしすぎるよな。

 

九条鷹匡に対して不信感を持ってるの今のところTRIGGERだと八乙女楽だけ(ラビチャで天を心配してた)なんだが、

もし、天に何かあれば 姉鷺が先陣切って 九条鷹匡と戦ってくれるのではと 個人的に期待している。

 

九条天は このままだと九条鷹匡を幸せにはできないけれど、

賞賛を求めない 姉鷺カオルのことは 自分の力で幸せにできるんだよな。

姉鷺さんが マネージャーで本当に良かったよね。

姉鷺さんのおかげで「誰かを幸せにしたい」という九条天の願いが 叶えられる。

 

 

 

 

 

 

ー 3話 ボクを信じて。 ー

 

さて、この題名に涙した人は何人いるだろうか。

ひとりで抱え込みすぎてて本当に18歳の男の子なのかと怖くなる。

 

天くんって、強がることで 自分の精神を整える部分あるよね。

陸がいなくなる不安と昔から戦っていたからかなのかな。

死ぬわけない、陸は大丈夫、そんなことを言い聞かせることで  毎日の不安から 生き抜いていたんじゃないかな。って思ってしまう。

だから今も 強がりをいうのは 周りを奮い立たせるためだけじゃなくて

きっと自分に言い聞かせて 「ボクならできる」って洗脳させるためでもあると思うんだ。

 

思い込みや強がりは 悪いイメージを持たれがちだけれど、実際 心理的には いい行為に傾くことも多い。

 

緊張状態や不安は ストレスに値するから精神的な負荷になる。

でも、思い込みや、強がりをすることで

「できる」と自分に自信をつけられるから 精神的な負荷も少なく、その上 失敗も減る。

 

天くんは幼い頃から きっと それを繰り返してて、今も癖になってるんだろうな〜、

良くも悪くも 自分を強くする方法として。

 

 

 

 さて、内容を見てみよう。
最初は 万理さんが TRIGGERに協力して 会場の相談に乗るシーン。

TRIGGERのコンサート 一回に2千万円とかすごいよね。
その金額を費やす価値があるという事実が、売れてた証拠だろう。
裏事情が現実世界でも通用する事実なのかどうかは知らんが、マネージャー同士の話は面白い。


「ライブハウスでやって、悪意のある記者に潜り込まれるより、マシかもしれませんよ。」

 

こういうことまで ちゃんと先が予測できてるあたり できる男なんだろうな。

 

姉鷺は プロのマネージャーではあるけれど  高級ブランドのような八乙女の名を背負った事務所で働いていた上に、

最初から高い席を用意してもらっていたTRIGGERのマネージャーである。

 

だからこそ 悪い事件に遭遇したことがあまりないから予測ができないんだろうな。

 

だけど、万理の場合 もともと自分が インディーズだったからこそ、

具体的に なにが悪点になって なにが良点になるのかというようなことも予測できてるんだろうね。

 

悪い事態って 思い描こうとすればいくらでも想像することはできるけれど

具体的にパッと思いつくとなると、その事態に遭遇したことがないと無理だからね。

 

ただの会話なのに、彼らが過去にどんな経験をしてるかがよくわかる。

こういうことが読み取れるような 言葉の回し方が、アイナナらしい。

 

 

そして、ここではIDOLiSH7が過去に行なっていたように 

ストリートミュージシャンになることが決まる。

 

 すごいね。

IDOLiSH7の1番初めと重なるように描かれてるストーリー。

IDOLiSH7が ここまで上り詰めるのに いろんな出来事があって苦労したように TRIGGERもここから苦労の連続なんだろうな。

 

 

 

 

 

「1111のマジック。

パソコンからログインして彼のラビチャを見張っているんだよ。」

 

悪質すぎて 言葉が出ない。

 

「だから、残念。全部お見通しなんだよ、モモ。」

 

百ちゃんさ、ラビチャを見られてることがわかった時に それこそ精神的苦痛が計り知れないよね。

だって、いつから見られてたのかもわからないなんて恐怖すぎるでしょう。

百ちゃんと 千がどんな行動とるのか ちょっとゾクゾクするね。

 

 

 

 

 

 

次はTRIGGERのシーン。

 

「覚えておきなさい。

あなたたちは、もう、高級ブランドの、トップアイドルTRIGGERじゃない。」

 

「軽率さと、嘘を重ねて、人々に愛想を尽かされ、事務所を捨てて、路上で歌う笑いものよ。」

 

この姉鷺の言葉に対して

 

リーダーである 八乙女楽が

「…笑いもの…。」

って呟くのが切なすぎて本当に泣きそうになってしまった。

 

 

そんな不安がよぎる中、

「罵る声を、あざ笑う声を、覚悟して。」

そう言った姉鷺に対し、

 

「大丈夫です。

誰が笑っても、ボクは楽と龍を笑いません。」

 

そう言う天くん。

本当に泣かされました。

不安なのは同じだろうし 1番精神的に辛い立場にいるのは天なのに 必死に仲間を守ろうとしている。

 

「姉鷺さんも同じでしょう。言いたくない言葉を言わせてしまって、すみません。」

 

天くんは エスパーか何かなのか?

幼い頃から 陸くんの願いを叶えるためだけに生きていた天くんは、

きっと 相手を思いやる気持ちは 誰よりも高い。大切なものを守りたい気持ちと 自分の心に強く生きたいと言う気持ちが強いのだろう。

 

 

 

 

 

「雨は天からの恵みだ。

いつか、大きな花を咲かせるために、俺たちに力を与えてくれる。」

 

雨が降ってきた時に龍が言った この言葉は 何か深い意味があったりするんですかね。

 

わざわざ「天」って言葉を選ぶあたり

九条天のことを比喩として話しているようにしか聞こえなくなる。

 

九条天が皆に幸せを与えるから 皆が元気付けられる。

 

まるで、陸がそうだったように。

 

 

 

」という名前が「大地」を指しているとしたら、

」には「天の恵み」である「」を吸収する役割がある。

 

 

「花が咲く」には「天の恵み」である「雨」と植物が存在しているだけではダメだ。

 

植物に根を張らせ水分を行き渡らせる 「」が必要になる。

 

 

となると、「花が咲く」絶対条件は 

 

「天」と「陸」が 揃うことである。

 

 

そして、実際に「七瀬陸」は

幼い頃から 七瀬「天」から 色々なものを恵んでもらっていて、

そんな「天」の存在が

今現在「大きな花」を咲かせるための蕾となり、

 

過去の陸も 今も陸も、

壁にぶち当たるたび、 天の存在に背中を押されている。

「オレも天にぃのようになりたいから」と。

 

羽ばたける「天使」と

羽ばたけない「陸地」として天と陸が遂になっているのかな、って最初は思っていたけれど

 

そうじゃなくて、「二人いないと意味がない」というような意味も込められてるんじゃないかと、勝手な妄想が膨らみますね。

 

この後にさ、天くんが

「ボクのライバル」

として、陸くんの話をするんですよね。

それがもう 妄想にマッチしちゃって、ね。

 

 

「雨に歌って、闇に笑って、地獄で踊る。

ボクらの仕事は何も変わらない。

世界が終わる日まで。」

 

この天くんのセリフもかっこよすぎて

強すぎて 泣ける。

「世界が終わる日まで」なんて言葉、どんな気持ちで言ってんだか。

 

 

 

「楽。ボクを信じて。」

 

特に この言葉が 心臓に突き刺さって痛い。

一部では 口を開けば喧嘩ばっかりだったのに

最年少のセンターが「ボクを信じて。」って。

しかも、リーダーの「楽」相手に。

 

 

楽は 実際 天のことを根っから信用してるし、天だからこそ センターを任せている。

それは過去のストーリー上明らかになっていることだ。

 

でも、それでも楽は未来が不安になってしまっていた。

 

なぜ、不安になったのか。

 

きっと不安を抱いていた時の楽は「1人」で戦っていると思ってしまっていたんだろう。

 

だからこそ 天が「信じて」と言うことで

「楽は1人じゃない」っていうことを 思い出させようとしたんじゃないか、って思う。

 

語彙力がなくて この 感激の気持ちを伝えられないんだけれど、とにかく このシーン ジーンとするんです…!!

一部読んでから ここの話見ると最高なので

前半読んでから この話 読んでみるのとてもオススメです。

 

 

 

 

 

 

 ー4話 歌い続ける覚悟ー

 

まさかここで 3部の初めに流れたものが 流されるとは。

なんだか複雑な気持ちになりました。

陸くんが登場した場面は本当に鳥肌がたった。

陸くんが動いて喋ってた…!

天がバッて、顔あげるシーンもいいよね。

頑張れって言いたくなる。

 

 

ネットでTRIGGERの写真が拡散される中、仲間の元へも その情報が行き渡る。

そんなシーンで

 

「本当だ…。

周りの女の子、みんな泣いてる。

かわいそうに。」

 

そんな千の言葉に

 

「嬉しくって泣いてるんだよ!

 だって終わりじゃないって分かったんだもん!」

 

そう、声をかける百ちゃん、本当にRe:valeだなって思った。

そして、Re:valeの関係はMEZZO”に よく似てるなと。

 

真っ白な紙にいろいな色を塗って鮮やかな色合いにするように、

千の感情や思想の幅を より豊かに増やしている。

ほんっとに壮五と環みたい。

 

 

って思っていたら次のシーンがMEZZO”なんだよなぁ。絶対 作者の意図的な行為だろ。

 

 

 

ピタゴラさんたちは、本当にバランスがよろしい。

個人的に、きっと、IDOLiSH7を幸せなアイドルに導くのは ピタゴラさんたちが大きな役割を担っているのではと思っている。

一織や陸が 危険な方に曲がった時に、

手を差し伸べるのは きっとピタゴラさんたちだろう。

 

「トラブルをチャンスに変えてきただろ!」

「願い事は必ず叶うから!」

 

「ハッピーエンドを用意してくれてるよ。」

「もし、準備の悪い神様だったとしても、俺たちが用意してやる。」

 

「終わらない夢を、ワタシたちに見せて。」

 

ピタゴラさんたちは、支えられてることを互いに実感しているんだ。

既に「1人じゃなくて皆んなでやればいいんだ」っていう結論にも迫ろうとしている。

だから、バランスが良いい。

 

 

 

 

 

 

「悔しさとか、悲しさとか、不甲斐なさとかを、天にぃの名前にくっつけるのは躊躇われた。」

 

「俺は知らないから。

ここで歌うことにした天にぃの覚悟を。」

 

このシーンの後に、天くんの涙のシーンが入るんですよね。

 

印象的だったと思うんだけれど、

「天にぃが泣いてる。」って分かって直ぐ

陸の思想を語る部分に戻るんだよな。

 

「躊躇われた」

そう言っておいて、考えるのをやめたのに、天の涙を見て また考え始める。

 

きっと、陸は分かったんだろう。

「悔しさとか、悲しさとか、不甲斐なさとか」

が、決して悪いことを意味するわけではないことに。

 

「傷ついた天の気持ち」に気づこうとしながらも、躊躇って見て見ぬふりをしていたけれど、

天の涙を見て 「傷ついた気持ち」を持っていた天が、「今何を思うのか」それも気付いたのだ。

 

 

「じゃあ、俺は誰のために歌ってるんだろう?」

 

このフラグきつすぎる。

完全にモンスターであることへの伏線だね。

 

 

そして、陸くんの この言葉

「ああ、この人は、オレを一度も嫌わなかったように誰も憎まないんだろうな。」

 

ここの場面で、

天が自分のことを好いてることや、

ずっと自分を好きでいてくれることに ちゃんと陸は気づいているということが見受けられる。

 

一部や二部であんなに大荒れしてたのに

天が厳しい態度を取ってたのは「陸のため」であったことに ちゃんと気づいてるし

天が家を出たのは 陸の世話が嫌だったわけでも 陸を恨んでるわけでも嫌ってるわけでもないというのも、自覚できている。

 

 

天くんの気持ちがやっと 陸くんに伝わった気がして 天くんが報われてて 本当に嬉しいシーンだった。

 

この後の天くんの泣き顔が大画面になるとこ、

取り敢えず 泣き顔が美しすぎる。

 

 

「たくさんの…、

本当に、たくさんのものを もらった気がします。」

 

そんな天くんの後の、 陸くんの心情で

 

「みんなに愛されて、幸せなんだ。」

 

という結論が出る。

 

 

天の涙を見て「愛されてて幸せ」なんて

直ぐに気づけたのは きっと陸くんだけだろう。

 

 

ここのシーン、泣く天を IDOLiSH7のメンバーやRe:valeのメンバーが見るんじゃなくて

「天の弟」として 陸が見るのが切なすぎて。

他の誰でもなく 陸が見るように描かれてる理由はなんなんだろうかと ずっと考えていた。

 

陸くんって 天にぃのこと

「輝き続ける手の届かないスター」だときっと思ってたんだよね。

 

でも、天にぃの涙見て 嬉しそうな顔を見て、

この人にも自分と同じ感情があることがわかったんだろう。

遠い存在だった天が とても繊細で18歳相応の健気な少年だったことに やっと気づいたんじゃないかな。

 

 

そして、天くん自身は自分に「愛されたい」という欲求があったことに 初めて気付く。

 

これのおかげで、

自己犠牲を重ねて皆に幸せを分け与えることが 自分の幸せだと思っていた天が、

やっと、「自分のため」に「自分のことを大好きでいてくれるファン」の前に立てるようになるんじゃなかろうか。

 

プロとして自己犠牲をしながらステージに立つんじゃなくて、

ステージに立つことで愛されてることを実感するという幸せな未来が 天くんにも来るといいな。

 

 

プロ意識の塊である天くんが

ステージの上で

ファンの前で

TRIGGERの九条天として

泣いてしまったのもの すごく意味深だ。

 

完璧な九条天」でいることより、

自分のありのままの感情」を初めて優先できた瞬間なんじゃないかな。

 

幼き頃から 陸くんのために自己犠牲を重ねてた天くんが、初めて 自己犠牲をせず感情のままに行動ができた。

天くんが報われるための最高の第一歩である。

 

この後、年上の楽と龍が 最年少の天を 守りながら ステージを後にするのも 泣けて泣けて仕方ないよね。

天の弱い部分を見て 自分が支えてやらないとと、思ったんだろう。

TRIGGERとして 3人で支え合おうとした 結果が招いた 史上最高のステージである。

 

 

 

ー5話 モンスター ー

 

初めから繰り広げられる

一織と陸の思考の掛け合いみたいなのが 本当にリズム感良くて 大好き。

 

そんな中 一織くんの言葉でBGMがブチっと途切れるんですね。

 

「ようやく、謎が解けた。」

 

ここのシーン すごい怖くてゾクッとした。

 

一織くんは 

モンスター=訴求力

であることにやっと気付くわけですよ。

 

 

 

「ブーイングが渦巻くサウンドシップで、TRIGGERの歌を歌い切って、あまつさえ、歓声を上げさせた。」

 

「混乱と不満を覚悟して告げた、センター交代の時、予測を裏切って、会場は感動の波に飲み込まれた。」

 

「日本が愛したTRIGGERと対戦してブラックオアホワトでIDOLiSH7が勝利を果たした。」

 

まさかこれらが まるまる全て伏線だったとは、とゾクゾクが止まりませんでしたよ、もう。

 

人を自然と惹きつける魅力がある主人公気質のキャラクターというのは

アニメを見ても沢山いるけれど

訴求力が問題になる ストーリーなんて見たことあります?

 

 

とりあえずtwitterの方では 考察の説明をしたんだけれど

モンスター ・ 魔王 ・天使  の意味と

九条の言う悲劇の詳しい説明は 以下のURLから。

@riku_ten_7さんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 

こちらは、天くんがとる行動の考察

@riku_ten_7さんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 

上記のURLの方を見て下さった方もきっと沢山いるので、このブログでは 軽くさらっと説明します。

 

 

「九条さんは与えます。

完璧なパフォーマンスと、深い愛情を、ファンに惜しみなく与えていく。」

 

 「七瀬さんの真価は、与えることじゃない。」

 

「訴えて、求めて、心を支配して!

人々の感情を、自分の心の傍に引き寄せる。」

 

これが、天と陸の明確な違いである。

 

天は自己犠牲を重ねながら人生を送ってきたがために、「幸せを与えること」を前提としている。

 

しかし陸は「自分の意思」に「引き寄せて

自分が幸せになるように 周りを動かす。

まるで洗脳をするように 人々の思想を 自分の思い通りにしていく。

しかも、無意識に。

 

 

 

「彼に共感した人々は行為と使命感を覚えたままです。

七瀬陸の願いを叶えたい。幸せにしたい。」

 

「もしも、日本中に放映されているテレビの中で あの人が何かを、誠実に訴えかけたら…。

私たちには、もう、コントロール出来なくなるかもしれない。」

 

 

これは完全に最悪の結末が見える伏線である。

 

 

「その先には悲劇しかない。

だって、それは魔王を呼び出す呪文だもの。

エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。」

 

「お前の願いを叶えるために、1番最初に現れた、魔王は誰だい?」

 

 

そんな九条鷹匡の言葉のすぐ後に 天のシーンが入って、

「魔王」は 天なのかと困惑させられるのだけれど、違うんだよな。

 

天は魔王には絶対になれるわけがない。

 

結論から言うと 過去のストーリーで 魔王になると自ら名を挙げたのは 和泉一織だ。 

 

なぜ自ら魔王になろうとするのか、、

魔王になりたいと思わせること自体、訴求力の力である。

 

「これらが真の訴求力を発揮するのは、愛らしさよりも、痛ましさなんです。」

「何かをしなければと、使命感を覚えさせる。

七瀬さんも同じです。」

 

ここの文面から

真の訴求力の発生条件として

「痛ましさ」が重要になることが伺える。

 

そして、和泉一織は 七瀬陸のファンでありながら、マネージメントをする身でもあって、

同じメンバーでもある。

 

それが、最悪の結末を導く伏線であるのだ。

 

和泉一織は

陸が苦しみながらもステージに立っていた「痛ましさ」を経験している。

 

そして、マネージメントをする立場から、

彼を的確に夢へと導くものは「自分しかいないであろう」という確信があり

 

それが「何かをしなければと、使命感を覚えさせる。」ことに直結するのだ。

自分にしか七瀬陸をスーパースターには出来ないから、「自分が魔王になるしかない」と「強い使命感」に囚われてしまっている。

 

そして、和泉一織は 陸の歌声に惚れ込んだ

陸のファンだからこそ 陸に対して「永遠」を求めてしまう。

 

それに対して 陸は 身体的に限界がくることもわかっているし、

死ぬことも恐れてない。

 

だからこそ、「スーパースター」になれればそれでいい。と考えるのだ。

 

陸は永遠を求めはしない。

 

そのすれ違いが 大きな過ちになっていく。

 

 

陸のために 全てを犠牲にし

自分が嫌われても誰かに責められても

「魔王になる」ことを決意した和泉一織。

 

そんな一織と夢を叶え

スーパースターになった陸は きっと体が悲鳴をあげている。

 

ゼロのように ステージに立てなくなり ファンの前から姿を消す。

 

そうなれば 皆が不幸になる。

訴求力により動かされて 夢を見ていた人々は、ある日突然、指導者を失い 夢が見られなくなる。

 

幸せに飲み込まれていた人々は 

現実に引き戻され 七瀬陸がいなくなった 喪失感に浸り、世の中が不幸の渦にとりまかれる。

 

皆は 限界まで陸をステージに立たせた 和泉一織を責めるだろう。

 

そんな中、一織は 七瀬陸がいなくなった喪失感に誰よりも深く深く どっぷりとはまってしまう。

 

七瀬陸と和泉一織の2人だけで頑張っても

誰も幸せになれないのだ。

誰かが水を差して 選択肢を増やしてあげないと、彼らは未成年であるがゆえに 未熟だからこそ 最悪の結末に気がつけない。

 

七瀬陸は 承認欲求を満たして

自分の生きてる実感を味わいたいだけなのに。

 

和泉一織は自分の夢を叶えると同時に 陸に幸せになって欲しいだけなのに。

 

なんとも 可哀想である。

大人組の子たちが ちゃんと気づかせてあげないと。

 

陸の寿命を縮めた、なんてなったら

誰も恨まないという天も 和泉一織を恨むだろう。

いままでの人生 全てをかけて守ってきた弟を殺されては 自分のしてきたことも無駄になってしまう。

 

個人的にはRe:valeさんと

三月くんと大和さんと天 あたりを中心に

いおりくを 正しい道へ向かわせてくれるんじゃないかなと思っております。

 

間違ってることに1番初めに気づくのは、天くんであってほしいな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3部13章 考察 感想

 

今回の更新もひやひやばかりの内容でしたが、同時にアイドルたちの芯の強さも感じられましたね。

 

私は13章からの14章の流れが好きすぎて

何回もリピートして再生しております。

 

毎回 感想をブログに書くと 文字数多すぎて キーボードが反応しなくなるっていう異常事態が発生するので 

今回は全体を通しての感想をちょこっと載せようかな、と思ったんだけれども、

 

でも、抜いていい内容なんて

一個もなかった…!

 

ということで 全てにツッコミ入れるつもりで 今回も1話ずつ感想を述べていきたいと思います。

 

いつも通り つらつら長々書きますが よければご覧くださいませ…!

 

 

 

ー1話 急上昇ー

 

最初っから突っ込ませていただきたいんだけど、紡のプロローグ的な言葉覚えてる?

 

「そして、ある日から、ぴたりとTRIGGERの名前を聞かなくなった。」

「見えない法律で禁止されたように。」

 

これめっちゃ、恐ろしいことだと思わないかい。

 

そして何気なく現実世界でも起きてることだろう?

 

忘れられることこそ 怖いことはない。

 

でも、世間はメディアに流される。

だからこそメディアが取り扱わなくなった事実は どんどん忘れていくのだ。

 

例えば 誰かが亡くなっても 犯罪を起こしても

一時期は テレビでその話題ばかりになるけれど、いつまでも その話題で溢れてるわけじゃないだろう?

 

その結果が「忘れられた過去」になってしまうのだ。

 

忘れられて仕舞えば 記憶はクリアになる。

「あー、そういえばそんな人いたっけ。」

「え?そんな人いた?誰だっけ?」

そうなるわけだ。

 

暖かくて綺麗な記憶から

興味のないどうでもいい記憶になる。

 

紡の言葉でTRIGGERが這い上がるのがどれだけ難しいか、どれだけ世間に見捨てられたかってことがわかるのだ。

 

ファンはTRIGGERを捨ててなくても

TRIGGERに執着していなかった世間は「メディアが触れないもの」として痛いものを見るような目で見る。悲しい事実である。

 

 

そんな中、TRIGGERの仲間であったIDOLiSH7やRe:valeが TRIGGERの穴埋めをするってのも辛い。

 

TRIGGERの穴埋めとして

IDOLiSH7とRe:valeはテレビに出る回数が自然と増える。

 

テレビに出る回数が増えるということは 世間もIDOLiSH7やRe:valeを見る機会が増える。

 

忘れられてくTRIGGERと

そのおかげで人気が上がるIDOLiSH7やRe:vale。

 

この事実がなんとも辛いのだ。

不良の事態だとはいえ 人気の差がぐいぐい広がる。

 

こんな風に人気をあげたいなんて彼らは思ってないだろうに、TRIGGER色に染まっていた世間は IDOLiSH7やRe:valeによって塗り替えられていく。

 

ううっ、、悲しい…!

悲しすぎるだろこれ。

ほんとになんなんだこのゲーム。

 

 

 

 

 

メンバーへ 急遽舞い降りる オファーの元役はこんな感じだろうか。

 

「親切でセクシーなスポーツジムのインストラクター役」

八乙女楽

 

「世界ミュージカル特集の特番でガイド役」

九条天


「強引に口説くバーテンダー役」

十龍之介

 

 

「世界ミュージカル特集の特番でガイド役」

っていうのは、ブロードウェイの方で すごい注目されてた「九条天」っていうのは 確定的だろう。

 

親切でセクシーなスポーツジムのインストラクター役

「 強引に口説くバーテンダー

 

については、

「最初は 親切セクシー=十龍之介」

かなってずっと思ってたんだけど

今このブログ書いてて 「え?…あれ?」ってなったんだよ。

 

まず、そう思った理由として世間的に

龍は ホテル王の息子でエロエロビーストだろう?

 

ストーリーを読んで  根の彼らを見てしまっていたから、 世間的イメージや 事務所の売り出し方を忘れてしまっていた。

 

「主人公の恋人役」っていう 役所を見てみると恋人役になる人は 「一途な人」っていうイメージがある気がするから、「女遊び」のイメージがある龍はあんまり似合わない気がする。

 

そんなこと言うと「抱かれたい男」ってのも

うーん とはなるけれど、「抱かれたい男」というのが「セクシー」に値するのかなぁと。

 

逆に「強引に口説く」という点から考えてみると、事務所から「クール」なイメージで売り出されてた八乙女楽より

 

「エロい&女遊びをする」というような「金持ちのホテル王の息子」というイメージを貼り付けられて 事務所から売り出されてた 十龍之介の方が似合う気がするのだ。

 

事務所の売り出し方として、

十龍之介は「御堂虎於」のような人物をイメージして 売りに出されていた。

その証拠に 過去、龍 と虎於が バーで対談していた時、虎於に対して 事務所が売り出そうとしてる理想の自分だと尊敬しているようなシーンもあった。

 

だから、世間的なイメージとして龍を虎於に置き換えて、

「御堂虎於」がどちらの役に似合うかって考えてみるとすごい分かりやすいと思う。

 

それに 龍の代役だったとしたら大和が入るのも何だかおかしい。

でも楽だったら、大和が入っても全くおかしくない。

 

 

それに、「天」の役が 二番目に 紹介されてる。

それを踏まえ  8→9→10の順番で 

代役の話をしている可能性もとてつもなく高い。

 

そう考えてみるとやっぱり

 

親切でセクシーなスポーツジムのインストラクター役」
→八乙女楽

「世界ミュージカル特集の特番でガイド役」
→九条天

「強引に口説くバーテンダー役」
→十龍之介

 

っていうのが1番しっくりくる。

 

 

 

そして、七瀬陸のCM本数が五本…!

まさか これが伏線だったとは、と読み直した時に ゾクッとしました。

 

あまり実感わかないかもしれないけれど

五本って とんでもなくすごいんだよ!

 

だって年間通して とかじゃなくて 「来月放送される分」で五本なんだろ?

 

やばくないか。

五本ともなれば 1日1度は七瀬陸がテレビで観れるだろうよ。

人気も上がるさそりゃ。

 

 

「好感度の高い芸能人」のランキングで陸が5位ランクインってのも おかしな話なんだよ。

 

センターだし人気だろうし 別におかしくないよ!と思っている そこのあなた…!

 

このランキングで

わざわざ『大御所』という言葉が使われている意味がわかるだろうか。

 

 

ここのシーンは 「一織の不安」の原因と

14章で出て来る「訴求力」について

 

1番はっきりと 世間が 陸の力により動かされている様子を表している瞬間である。

 

 

ストーリー的に ここのシーンが重要ではなかったら『人気俳優や人気アイドルに並んで「七瀬陸」が入ってる。』という描写でもよかったのだ。

 

それなのにわざわざ『大御所』だらけのランキングに『デビュー1年目』の陸を入れることで

「あり得るはずがない」「意味がわからない」

というような「一織」の気持ちをリアルに感じられるようにしてあるのではないかと、

「作者の意図がわかる 場面である」ことが考察できる。

 

 

 

この後の万理と一織の会話は笑ったね。

 

オファーを断った陸に対して

やればなんとかなりますよ!」と怒る一織。

その一織を見て すかさず

そうだよね!なんとかなるよね!一織くんこの仕事受けてもいい?

って。

 

 

このシーンのおかげで

百が「万理」って呼び捨てした時の ドS万理の 様子を すごく思い出してしまった。

 

わずかな隙を付いて来るあたり、

事務員として、ギャラがたくさん入るように 多方面から仕事拾って来るだけある。

流石です、万理さん。

 

 

 

次に

「高校生役」が決まった百と

「アジアのビーチで出会う スポーティでエキセントリックな青年役」が決まった千

 

この時に、百が

ウケる。渚のお嬢さんやりなよ。

って言ったんだけど

個人的に「ウケる」の言い方 めっちゃ千のことバカにしててすっごい好き(笑)

聞くたびに笑ってしまう。

 

 

 

 

 下岡さんが司会をする番組にZOOLが出た際、1番思ったことは、

「すごい流されてるんだなぁ」ということ。

 

ZOOLの人気はまるで「流行」みたいな。

 

あの子がZOOL好きって言ってたから 私も好きになろう!

 

そんな感覚で好きになっている気がする。

 

これこそ、マスメディアを通した洗脳ではないだろうか。

 

わかりやすい例だと、

TRIGGERがステージに立っていた時、

それを見た人は「虹を見せてくれる」だとかっていう 「具体的」であり「実際に実感した人しか言えない」というような表現がされていた。

 

それなのに、ZOOLを応援する人は

 

なんかわかんないけど、格好いい!!」

「全然物怖じてない!格好いい!!」

 

そんな、誰にでも言えるような言葉を並べるのである。

 

熱狂的なファンを1人作るより

とりあえず薄っぺらくていいからファンの数を稼げばいい。

 

そんなイメージである。

事務所の権力で世間をコントロールして、

ZOOLは 本当に「コマ」でしかないような扱いをしてる。

本当に月雲了はZOOLでなにをしたいんだか。

 

 

 

 

 

ー2話 とても素敵ですよー

 

この話の序盤で 天と陸が 連絡を取り合ってるってのが 知れて ホッといたしました。

 

やっぱり、天が少しずつ 自分に素直になっている。

 

この変化は 後に 「九条天」から「七瀬天」に戻るための 大きな役割を果たしているのではないだろうか。

 

天の心情は 常に読み取ってないと置いてかれそうだね。

 

 

特別広報マネージャーのナギくんの

ショートコント】については、笑いがこみ上げるとともに関心してしまったよ(笑)

私も私生活でやってみたい。

 

このシーンで環が壮五のことを

「メンバー」ではなく「相方」って表現してたのが泣けた。

やっぱ彼らは 将来Re:vale様のような ラブラブコンビになるのでは。

 

 

そして、棗巳波。

 

やはり彼がノースメイアで学んでいたものは「音楽」。

ってことは 桜春樹から学んでいたんじゃ、という嫌な予感がしてしまう。

 

 

人相占いについては、思わずスクショしてしまった…!

客観的に見た「3人」の特徴が挙げられているから、とてつもなく これからの考察材料になる気がする。

 

環なんて「穏やか」「他者のサポートが得意」なんていう 一部では考えられなかったような 占い結果で、それに対して メンバーは深く納得している。

 

そうなると、環のマークである「mp」の意味もよくわかってくるし、

MEZZOとして考えた場合では、やはりRe:valeに 物凄く重なるではないか!

 

千のサポートする百

壮五のサポートをする環

 

 

最高である。

 

やはり MEZZOは Re:valeのように ラブラブな漫才夫婦になりそう!って思ったんだけれど

 

MEZZOの場合は 2人とも なにも考えなくても 自然と漫才になっちゃうのが 本当に 愛らしい。

 

すれ違うようで すれ違わず、

すれ違わないと思っていれば ふとすれ違う、

そんな関係が きっと程よい距離なんだろうな。

 

 

 

この後のスタッフがIDOLiSH7を気にかけるシーン。
ここも感激しちゃったね。

 

 

ツクモのアイドルだから、あんまり、厳しい注文はできないし…。
三月くん、頼むよ…。

 

三月くんが頼られてる…!

ちゃんと認められてるし 信頼されている。

 

三部の三月へ 代永さんが

「君がいないとアイナナは大変なことになっちゃうな、」

って コメントしていたけれど

本当に三月がいないと IDOLiSH7はどうかなっちゃうんだなと、今更になって思い知らされる。

 

 

キミと愛ドリッシュないと!での絡みについて

 

 棗巳波⇄二階堂大和・和泉一織

御堂虎於⇄逢坂壮五・ナギ

狗丸トウマ⇄四葉環・七瀬陸

亥清悠⇄七瀬陸・四葉環・和泉一織

 

目立ったのは こんな感じかな。

 

 

御堂さんが オタクが嫌い、理解できないと言ったシーンが特に 個人的には目を引いた。

 

「紙に書かれたものに夢中になるなんて、上級階級の社会では、趣味とは呼べないな。」

 

この言葉に なぜナギがそこまで激怒するのかということについて。

ナギが「上級階級社会」の者であるのでは、というフラグにも聞こえるよね。

 

怒ったナギに対して 三月が

こいつ。アニメの話になると長いんです」って。

 

これも

収録前に言っていた「百のやり方」なんだろう。尊敬する先輩を見てちゃんと学んでいる。

嫌な相手であっても 三月は【MC】だから、

どちらの味方にも付かず 双方が揉めないように気分よく話ができるように仕向ける。

 

前のブログで「欲求」についてまとめたけれど

三月の「自己実現欲求」がまさに 今 描かれまくっていると思うんだ。

 

IDOLiSH7として歌ったり踊る「和泉三月」と

MCとして カメラに映る「和泉三月」は全く違う。

MCとしての その道を極めようとしているように思える描写だ。

 

 

 

 

高校生ながらの幼稚な亥清くんが、何気なく言った言葉。

 

あいつだっていないだろ!」

「そこにいる七瀬陸の双子の兄の九条天だよ。超性格悪い!」

 

これは何かのフラグなのだろうか?

 

ただの暴露だったらスルーしたけれど

モブである「スタッフ」が反応している描写がはっきりと描かれているんですよね。

 

ゴシップとして 広がって ストーリーが変な風に動かないといいけれど。

 

 

そして、私らがずっとツッコミたかった

「天にぃ」という呼び方を馬鹿にする人が ようやく現れたな。

ぷっ、天にぃだって。いくつだよ。」

七瀬陸に対して こんな言い方できるの 今の所狗丸トウマくらいじゃないか?

 

 

 

 「天にぃ天にぃ天にぃって、馬鹿!!

全部使えねーよ、あほ!!

 

ここのツッコミもいいね。

 

きっとここの言葉が一織だったら

「貴方馬鹿なんですか!?貴方と九条さんの関係は内密にすることになっているでしょう?!」

的なことを怒ったと思うんだよ。

つまり、あくまで「陸のため」だとか「グループのため」に怒るということ。

 

でも、やっぱり上記にも書いたように 三月は【MC】だから「使えねーよ」っていう 

スタッフへの気遣いのような言葉で言い表されてる。

意味は同じでも 言い方次第で

何を優先してるのかっていうことが伝わってくるからアイナナって面白い。

 

 

 

 

 

両親が悪く言われちゃうんです。

前に、オレたちを事務所に売ったみたいな記事を書かれて、母さんが落ち込んで…。

 

天がなぜ九条の元に行ったのか理解できなくて天にぃ天にぃって 足掻いてたけれど、

「九条さん」って 陸がちゃんと言うようになったのは これがきっかけなのかな?

記事に書かれたの きっと一部のゴシップの時のだよね。

兄のコネで事務所入ったんだろ、的なこと言われて陸も怒っていたような気がする。

 

天が黙っていたいのは

両親を傷つけないためだとか、陸をあまり巻き込みたくないだとか、ファンを困惑させたくないってことだと思うんだが、

陸もちゃんと家族のこと考えていて それがストーリーの中で取り上げられていたから ただただ嬉しい。

 

この後の「おふくろ大事にしろよな!」って。

優しさ滲み出ちゃって もう全く隠せてないけど大丈夫なんだか。

トウマくん優しすぎて いちいち 笑っちゃう。

ほんと 素直になれないツンデレだよね。

キャラを演じてるのは 窮屈だろうな。

ZOOL問題が解決した後に、彼の性格はどういう風になるのか楽しみです。

 

 

 

 そして、きました!棗くんとナギくん!

 

 

「前から言おうと思っていたんです。

『Sakura Message』を歌うあなたは、とても素敵ですよ。」

 

「……なんで、ナギだけ褒めんの?こいつのファンなの?」

 「いいえ?最上級の皮肉です。」

 

さてさて。

 

何が皮肉なんでしょうね。

Sakura Messageの個人的な解釈 - I7 blog

以前ブログでは

Sakura Message=「死に行く友人からの最後のメッセージ

として考察を広げたのだけれど、

もし その考察があっていれば「皮肉」の意味も通る。

 

ただ、だからと言って 棗がナギを恨む理由にはならないから Sakura Messageには やっぱりまだ他の意味も込められてるのか、

それとも他の意味が込められてるってより、

意味は同じでも 他者の価値観からしたら「違う意味で受け取られる」歌詞もあるのかもしれないね。

 

例えば ナギにとっては 励ましの曲として 受け取れるかもしれないけれど

棗からしたら、大好きな桜さんの寿命を縮めた曲だとか、

自分よりナギの方が大切に思っていることを証明する曲、として残るのかもしれない。

 

ほんっとなんなんだろうね。

また後々 語られる事実を ワクワクしながら待ってましょうか。

 

 

ー3話サンクス、ディア・フレンズー

 

 

話が始まって早々、

最後まで歌わないと言い出す亥清くん。

 

ほんっと 理由が バブちゃんすぎて可愛い。

幼稚で周りが見えてない。

九条鷹匡のせいで 洗脳されるように性格を作り上げられた結果がコレなんだろう。

周りに感謝できないから 自分勝手に動いてしまう。それがどれだけ悪いことかも理解できてない。

後にこの性格のせいで何か大きな事件でも招きそうですね。

 

 

その件に関して、

喧嘩腰派と問題を最小限にとどめたい派

 

この別れ方も 個人の癖が出てていい。

 

喧嘩腰派は

 

四葉

六弥ナギ

和泉一織

和泉三月

 

やっぱ、和泉兄弟、頑固なところは似てるんだな、って感じる。

一織は無謀に突っ走る派ではないけれど、

軽々しく頭を下げるほどプライドが低いわけではない。

このプライドの高さこそ 和泉三月と同じじゃないか。

 

 

これに関して 問題を最小限にとどめたい派

二階堂大和

七瀬陸

逢坂壮五

 

陸くんがこっち側にいるの意外だよね。

てっきり彼は 野生の勘とやらで 突っ走るタイプだとばかり思っておりましたが

意外なところで冷静になれる子でした。

 

きっと、亥清に対して「理不尽だから怒ってやる」という気持ちより、

陸は雰囲気を察するのが上手いからこそ

「皆んな怒ってる どうにかしないと」だとか

「大和さんが困ってるどうにかしないと」とか。

そういう 周りの気持ちに対しての行動を取っていたのではと見当がつく。

 

 

 

 

「それに、僕は頭を下げた相手の名前を、一生忘れませんから。

いい意味でも、悪い意味でも。」

 

みなさんも とても印象に残ったであろうシーン。

どういう意味なんでしょうかね

「いい意味でも」「悪い意味でも」というのは。

 

まず「名前を忘れない」ことに対しての片方の意味は

「もう2度と相手を困らせないように、気をつける」

という ごく一般的な意味だと思うのだよ。

 

問題はもう1つなんだよね。

 

頭を下げる行為=自分の方が下 

という意味になること踏まえ、

御曹司そーちゃんの本質が出ていたのであれば

 

「見返してやる」だとか

「2度と頭を下げてやるものか」だとか

「今度は彼方が頭を下げるように 流れを作ってあげる」だとか

 

そういう意味だと思うんだ。

 

 

アイドルである逢坂壮五は「好きなモノ」を否定されて生きてきたばかりに、小心者で自信なさげで、環くんに背中を押してもらうことで 前に進んでいる 繊細な少年。

 

でも御曹司である 壮五は 幼い頃から
「どんな手を使ってでも勝つ」
「皆の上に立つ者」

という教育を受け続けていたから

The 権力者 として  いつでも自信満々で

自分がトップであることに胸を張っていて

プライドが ど高い 逢坂壮五 だと思うんだ。

 

 

このシーンのおかげで

少しずつ 環の抱く不安の紐が解けてきたね。

 

環は「自分の好きなことをしている そーちゃん」が好きなんだろ。

やりたいことをやって、自由に生きてる逢坂壮五が好きなんだ。

自由に生きて 認められようと必死に頑張って 認められれば素直に笑う、そんな壮五が好きなのだ。

 

だから「御曹司」という「押し付けられた役割」として生きてきた壮五をよく思っていない。

「よく思ってない」という気持ちが 環の中でまだ 「隠れてる気持ち」になってるから

モヤモヤしてて 嫌なんだろう。

 

環に背中を押されアイドルとして生きてくことを深く決心して、

最高の「相方」になったのに、

壮五は「アイドル」ではなく「御曹司」の一面もある。知らない壮五がいるのもきっと嫌なんだろうな。

相方として生きているのに 他のことばかり考え始める壮五も嫌なんだろう。

対等な立場でいたいのに 「御曹司」の逢坂壮五が出てくると、どうしても 権力意識やプライドの高い壮五が上になっちゃうからね。 

 

 

 

 

 

その後のシーン、MEZZO”くんの新曲!

『Dear Butterfly』

 

「Dear」と付くあたり、誰かに「歌詞」や「気持ち」を伝えるための曲だから スローテンポな曲なのがわかるよね。

 

「Butterfly」は「蝶」。

「蝶」となると 可憐なイメージ。

「羽ばたく」というような意味もあるだろうから明るそうなイメージの楽曲かな。

 

蝶って「復活」「不死」「化身」とか

いろんな意味をつ生き物らしくて

ナギがこの後「好きなものを想って歌う曲」として説明するけれど

その前に紡が「いろいろ、疲れて傷ついた人たちの心も癒されると思うんです。」と言っている。

紡の言葉を「蝶」が持つ意味と重ねれば

すごい深い意味の持つ題名な気もしてしまうよね。

 

 

「愛する友人なら、否定も、肯定も理解しようと努力します。傷つけられた意味を探すでしょう。」

 

このナギくんの言葉 流石すぎてツッコミ方がわからない。

一見、壮五に向けられた言葉な気もするけど、環にも向けられてる言葉なんだよな。

 

個人的には ここのシーンを読んでから一部に戻ってストーリ読み直して欲しい。

壮五に対して「そーちゃん意味わかんない」って思っていた環が、

徐々に「なんで嫌われちゃうんだろ」

「もっと俺がちゃんとしないから」って気持ちに変わってくるのだけれど

「なんで嫌われちゃうのか」ということを考え始めた時点で もう環にとっては「愛する友人」になっていたんだよね。

自分たち自身 互いに惹かれあってることに気づかなかった上に、2人とも自分に自信もなかったから 随分遠回りになってしまっていたけど、やっぱり相性ぴったしすぎて 泣けるぜ。

 

「友人になることで、すべてを解決していける。」

そんなナギの言葉もキーポイントなんだろう。

棗とナギは 互いに理解しようとすることで 和解できるようになる未来があるんだろう。

 

この曲は大きなキーになりそうだし

この曲が ナギと春樹を再び結びつける曲であって欲しいな。

 

 

 

ー4話 前置きの後でー

 

この話の 初め、和泉一織の心の嘆きがとにかく辛すぎる。

高校生なんだよな彼は。

経験不足だからこそ何もわかっちゃいない。

 

「…勝手に、ひとりでどこかに行かないで。」

 

引用したい言葉はもっとあるんだけれど 長くなりそううなので、この一言に焦点を当てる。

 

一織くんは、依存し過ぎなんだよな七瀬陸に。

この「依存」こそ 九条鷹匡そっくりじゃないか。

このまま 依存が強くなればなるほど

ゼロが消えた過去のように、

同じ未来がまた描かれてしまう。

だからこそ、「モンスター」なんだろう。

 

前回のブログでも言ったけれど

一織は 陸に自分の夢を乗っけちゃってるから そもそも依存しやすい。

その上、依存してくれることを 七瀬陸は「頼られてる」と思って 受け入れている。

 

この2人の関係性に 誰かが水を差してくれないと くっつき過ぎて 互いを壊す結果になってしまうのだ。

大切に思うあまり、「願いを叶えてあげたい」ということに囚われてしまうから その他の大事なことが見えなくなっていく。

 

 

 

「…オレがしていることも、天にぃがしていることも、1年前と何も変わっていないのに。

なんで、聞こえてくる人の声は変わっていくんだろう。

それとも、オレが気づかないうちに変わっていってるのかな…。」

 

厳密にいうと彼は確実にこの一年で 変わっている。

でも、陸の言ってることは正解。

陸のしていることに至っては 外面的には何も変わってない。

 

 

じゃあ、何が変わったのか。 

 

 

それが、前回のブログに書いた「欲求」である。

 

認められるわけがない、そう思っていた七瀬陸は  この一年で「オレも認めてもらえるんだ」ということに気づいてしまった。

だからこそ 陸が求めるものが変わったのだ。

 

天にぃのように みんなを笑顔にさせる存在に なりたい。

それは本音だろうが、その裏に欲望が芽生えているのである。

 

「オレが認められたらいい」

「認めらることは 生きてる証」

 

天にぃみたいに「ファンのため」に生きてみようと思っていた一年前と

自分のために」に生きようとし始めている今。

 

この気持ちの持ちようが 周りを大きく動かしてるんだよ陸くん…‼︎

 

この「無意識」こそ「コントロール不可能」である。

 

訴求力は いいことなんだろうけど

なにせ 七瀬陸は「若い」「身体が弱い」「承認欲求が足りてない」この3点のせいで 悪い方向に動いてしまう。

 

それプラス隣にいるのが 和泉一織だからな。

最高に良い相性だけれど

力が強いが故に 最悪の相性にもなりかねん。

 

 

この後のシーンで MEZZO”くんたちのシーンがあるじゃない。

 

そーちゃんが 初めて自分のやりたいことを言うという 感動シーン。

 

2話で棗が言っていた

「他者のサポートが得意」という環の特徴がモロに出てるシーンだなと思ったよ。

 

背中を押すことは誰でもできるかもしれないけれど、環みたいに 隣に寄り添える人はきっと少ない。

 

「すっげー、へたっぴなダサい歌でも、

俺、歌うし。」

 

さて、こんなこと18歳のやんちゃな少年が言えるか?

 

もし一織だったらなんて言ったと思う?

 

きっと「貴方ならできます」だとか

「期待してますよ」という背中の押し方だっただろう。

 

でも環は 一織と同じ18歳でも  一織が知らない 壮五の気持ちを読み取っている。

 

 

きっと壮五が「叔父を失った悲しみ」や「否定される怖さ」をもっていることを知っているからこそ、

「ずっと隣にいる」「何してもあんたの相方でいる」ということを 壮五に伝えようとしているのだろう。

 

自分も 今まで生きてきて  失ったものばかりだったから、痛いほど壮五の気持ちがわかるんだ。

自分にしかできないこととして、壮五の一番の理解者でいたいんだろうな。

 

「そーちゃんが自分の好きなことやったって、

俺はそーちゃんが好きだから、どこも行かないし、嫌いにもならないよ」

 

そんなことを 常に思ってるんだろう。

 

  

壮五の安心できる場を作ろうとする環の優しさに ジーンとなりました。

 

 

というシーンのせいで 私は危うく 伏線を逃しそうになりましたよ。

MEZZO”くん やってくれるじゃないか…!

 

環くんの優しさに 心動かされスルーするところだった。

 

 

ここで考えて欲しいのは 作者の意図。

 

MEZZO”くんのシーンの前には何が語られていただろうか。

 

そうなんです!

 

一織と陸の未来に対する不安 が描かれていた。

 

MEZZO”の希望に満ち溢れた未来と対照的な

一織と陸の不安。

 

そして、壮五は「作曲」に手を伸ばし出した。

 

1年目の IDOLiSH7は 「絆を深める」「アイドルとしての高みを目指す」

そんなイメージだったけれど

 

2年目は もしや

各自、自分の道に進もうとする

 「バラバラになるメンバー」が描かれるのでは。

 

 

今現在 見る限りでも かなりユニットごとに バラバラの道に向かっている。

 

ピタゴラ

大和→俳優

三月→MC

ナギ→モデル

そんな個々のイメージがついているし

 

MEZZO”の場合は

壮五→作曲  ではあるが、

きっと 壮五は環がいないと作曲は出来ないから

 

壮五+環→作曲  になる。

 

 

そんな中で 唯一「アイドル」と「マネージメント」という  初期の設定から イメージが変わってない Fly away!のお二人。

 

これが また危険な要因なんだろう。

 

「アイドル」として生きてる陸を支えられるのは 「マネージメント」の気質がある「一織」しかいなくなるわけで

 

逆に考えると「アイドル」に1番没頭している陸が 一織に1番「マネージメント」されやすい。

 

求める、求められる、の関係が出来上がりすぎている。

 

 

他の人たちは 自己実現欲求のために 我が道を行くから 「アイドル」である自分がどんどん薄くなる。

 

それ故 「アイドル」という皆からすれば 「二の次」になってしまった仕事をする一織や陸に向く目が少なくなるし、

 

アイドルでいたい人」と

自分のやりたいことをやりたい人」で 対立し

 

「アイドルとして高みを目指す」

「ゼロを越える」

その夢がどんどん すれ違いを起こして行くのではないだろうか。

 

個々で活動することで、IDOLiSH7としての

夢が 二の次に なってしまう。

 

が、 アイドルを二の次の仕事にせず主の仕事として続けようとしている 残された お二人さんがまだいる。

 

が、そちらも そちらで 我が道を行こうとしているのだ。

 

何が言いたいかというと

ユニット内で揉め事があったりしても 

他のユニットのメンバーは口を出しにくくなるわけよ。

 

ユニット内のメンバーのみで高め合うようになってしまうと、ユニット内のメンバーの声にしか耳を傾けなくなるし、

逆に他ユニットのメンバーからすれば

「俺には お前の気持ちわからないから 相談にも乗ってやれない。」となるわけだ。

 

それは 悪点になりかねん。

 

一織なんて 九条鷹匡に「高校生」という年であることを「未熟」だと思われている。

 

この点からアイナナの世界では 年齢相応の「未熟さ」が描かれていることも安易に想像がつく。

 

で、だ。

 

不運なことに Fly away!だけ 成人組が誰もいない。

 

この事実は 「彼らが未熟」であり

「若い」が故に「明るい未来ばかりを想像している」 ことが伺える。

 

一織と陸は 根拠もなく「2人揃えば何でもできる」そう思ってしまうのだ。

 

そして、それが通用しないとわかるときは

自分達にの身に取り返しのつかない事が起こった時である。

 

取り返しのつかない事が起きる前に

一度「Fly away!である七瀬陸と和泉一織」から

IDOLiSH7である 七瀬陸と和泉一織」に戻って 周りの大人の意見に耳を傾けないと 最悪の結末に至るわけだ。

 

どうかそうならないでくれと願うばかりである。

 

 

 

 

 

ー5話 絆と約束ー

 

壮五が 環に背中を押され

皆に曲を作りたいという意思を打ち明ける場面。

ここでジーンとしたのはナギの

「ハルキの歌はソウゴの夢の邪魔をしたりしませんよ。」という言葉。

 

なんて素敵なフレーズ。

やっぱり ナギにとって春樹は

「背中を押してくれる存在」だとか

自由な生き方を教えてくれた存在」なんだろう。

 

 

 

 

 

 

「ミューフェスの時に泣いたイチが、

ぶっ倒れたソウが、スタジオで暴れたタマが、

見たかった景色が この先にはある。

 

センターを降りたリクが、

トイレで泣いてたミツが、

記者会見で俺らを守ったナギが、

連れて来てくれた、最高のパーティがある。」

 

 

こののシーン 全ての大和の言葉を引用したいくらい 本当に大好き。

 

見たかった景色」と

連れて来てくれた」という言葉。

ここで  それぞれ挙げられている メンバーが すごく深いな、と思って。

 

見たかった景色」で挙げられてるメンバーは一織、壮五、環。

こっちは、 嫌なことから目をそらさない、ということを学んで 成長しようとした子達。

 

 

連れて来てくれた」で挙げられているメンバーは 陸、三月、ナギ。

彼らは 自分を犠牲にして 嫌われる恐怖から逃げずに IDOLiSH7を守ろうとした。

 

 

そして リーダーは柄じゃないなんて言いながら

誰よりもメンバーのことを見てる大和さん素敵すぎる。

 

 

この後の メンバーが 各自 名前を呼ぶシーンで

 

四葉環の

「逢坂そーちゃん!」

 

泣きたいんだか 笑いたいんだか よくわからない気持ちにさせられた。

 

四葉環は あだ名のセンスといい

言葉のチョイスが もう天才的だよ…!

ほんっと大好き四葉環。

 

 

最後の七瀬陸の 心の声もまた いろいろ考えさせられるよね。

 

まず、「天にぃは永遠に俺のスターだ。

ということ。

 

IDOLiSH7のコンサートで

IDOLiSH7としての思い出を振り返る中

天にぃのことを想っている七瀬陸ってなんなの。

 

やはり、陸にとってのスターは ゼロでもなくて永遠に「天にぃ」なんだろう。

 

全ては「七瀬陸」が「七瀬天」と共に生まれたところから始まってんだ。

 

ここで「永遠」って 陸が語っているところもジーンとしたね。

 

 

そんな感動的シーンの中

 

「願いを叶えてみせる。」

 

という 最後の陸の心の声は 最高のフラグ。

 

 

さて陸は誰の願いを叶えようとしてるの?

 

「オレを呼ぶみんなの声が、オレに力をくれる。仲間の歌声が、オレの背中を支えてくれる。」

 

「今なら、なんでもできる気がする。」

 

「流れ星を降らせて、七色の虹を超えて、ライトの海を泳いで、空だって飛べるよ。」

 

 

皆に助けられてるのは「陸」

「なんでもできる」を達成するのは「陸」

空を飛んで気持ちの良い居心地を味わうのは「陸」

 

陸はやはり 「自分のため」に歌っていることが よくわかる。

 

実際、陸の声は皆を支える声だろう。

だけれど、陸からすれば「自分が自由に歌った歌」が たまたま「皆の支えになっていた」というだけである。

 

それに対して 九条天は

「ファンの支えになるため」を前提とし 歌っているのだ。

 

最後の

「陸くんの歌声で、会場が1つになるの!」

これもフラグだったなんて 恐ろしすぎる。

 

もう、ひぇー!という語彙力のない言葉しか出てこん。

 

 

天も最後にちょこんと出て来たけど それは また次のブログで…! 

 

 

 

 

実はね このブログ書くの2回目なんだよ

更新しようとしたら 間違えて 内容削除しちゃって、泣いたぜヽ(;▽;)ノ

 

そんなトンチンカンなこと もうしないように 余裕を持って ブログは書いた方がいいですね。

ちゃんと学びましたので12章も 近々upしようかと。

12章は 個人的に過去最高に大好きな話なので 沢山語らないようにきをつけます…!